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旅をする木 -- 星野道夫 --


旅をする木

内田一成

 最近、何故か、様々な場面で「星野道夫」に出くわす。それは、ただの偶然なのか、それとも、今、日本で星野道夫というナチュラリストへの関心が高まっていて、出くわす頻度が高くなっているせいなのか?

 いずれにしても、亡くなってから10年が経って、星野さんと「出会いなおし」ているように感じている......。

 夏に浅草のデパートで開催された写真展が発端だった。

 大井町で開かれていた「バンフ山岳映像祭」を目当てに出かけていったのだが、「マイナーな映画だし、当日券があるだろう」との当てが外れて一日だけの機会を逃してしまい、それに代わるものが何かないかと考えて、ふと思い出したのが、数日前に何かで見て手帳に日程を記しておいた星野道夫写真展だった。

 星野さんといえば、昔、SEGAで一緒に仕事をしていて、後に"Think the Earth"を立ち上げた上田壮一さんが思い出される。上田さんが、SEGAのプロジェクトを離れて、ガイアシンフォニー第三番の助監督として星野さんを取材しようとしていた矢先、当の星野さんはカムチャッカで帰らぬ人となってしまった。

 星野さんと打ち合わせを進め、監督の龍村仁さんとガイア3の具体的な構想を進めていた上田さんは、明日から星野さんに密着取材するためにアラスカに行くという日に訃報に接し、途方に暮れてしまっていた。

 結局、ガイアシンフォニー第三番は、主人公である星野道夫の過去の映像と写真、文章を散りばめながら、彼の周囲にいた人たちに綿密に取材することで、星野道夫の生き様と精神を蘇らせたものだった。

 とてつもなくピュアで、人を愛し、自然を愛し、人からも自然からも愛される人間、そんな彼の姿が、はっきり浮かび上がってきた。ソローは、『ウォールデン』という名著をものしたが、彼は、結局、都市に戻った。一方、星野道夫はずっと自然の中にあって、そこを自らが生きる社会とし、そこで家族を持ち、そして、自然へと召還されていった。その意味では、星野道夫はソローよりももっとずっとソローらしい一生を生きたのではないかと思えた。

 それまでも星野道夫の名は知っていたし、アウトドア雑誌などで、その作品を観たことはあった。でも、正直言って、ガイア...... を観るまでは、さほど自分にとって関心を掻き立てる人ではなかった。

 そして、ガイア......で、あらためて星野道夫という人、その人となりを知って関心は持った。だが、ゲーム開発というパラノイアな時間を過ごす中で、次第にその関心も薄れ、星野道夫という名は記憶の中に埋没していってしまった。

 今年の夏、浅草の写真展で「出会いなおした」ともいえる星野道夫は、一気に、10年前の記憶をよみがえらせると同時に、彼の写真から伝わってくる自然をみつめる優しい視線と、大自然の中に一人ぽつねんと佇み続けたことで生み出された洞察に満ちたエッセイの断片が、深く心に染みこんできた。

 そして、生前にどうして出会う機会がなかったのか、その後ガイア...... を観た後にどうして彼への関心が自分の中で持続しなかったのか不思議に思うと同時に、「そうか、ようやく、自分は、星野道夫という人が表現しようとしていたことが、今になって理解できるようになったんだ。だから、ようやく、今、彼への関心が、自分の中で確かなものになったんだ」と感じた。

 それからだ、星野道夫との出会いが続き始めたのは。

 今年完成した、ガイアシンフォニーの最新版である6番を観に行くと、そこでは、主要なモチーフとして再び星野道夫が取り上げられていた。さらに、何気なく手に取った雑誌のいくつかにも、星野道夫が特集されていた。

 そして、ぼくは、今になって彼の著作を読み、かつて上田さんが助監督を務めた「ガイアシンフォニー3」を見直した。

 出会いなおした星野道夫は、とても新鮮だった。

『私たちは、千年後の地球や人類に責任を持てと言われても困ってしまいます。言葉の上では美しいけれど、現実としてやはり遠すぎるのです。けれどもこうは思います。千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。つまり正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出していく責任はあるのではないかと』

『ぼくは、ドンが好きだった。どこか、一つの人生を降りてしまった者が持つ、ある優しさがあった』

『ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もう一つの時間が確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい』

『政治も、社会も、何もなかったように変わってゆく。そして個人の夢や、人々の文化だけがしたたかに残ってゆく』

『誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、ビルはただあるがままの人生を生きてきた。それは自分の生まれもった川の流れの中で生きていくということなのだろうか。ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。「だれだってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」』

 これらは、星野道夫の代表的な著作、「旅をする木」に記された言葉だ。

 あらゆる場面で行き詰まりを感じ、目標が見当たらない現代という時代、彼のこうした言葉は、途方もない安心感を与えてくれると同時に、生きる上での希望や方向性を示してくれる。

 「旅をする木」とは、星野道夫が敬愛した動物学者で、アラスカに核実験場を作る計画が持ち上がった際に、敢然と反対を唱え、アラスカ大学の教員の職を追われたビル・プルーイットの"Animals of North"の第一章のタイトルだった。

 早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、この鳥が啄ばみ落としてしまった種が辿る物語。トウヒの種は様々な偶然を経て川沿いの森に辿りつき、そこで一本の大木に成長する。

 そして長い年月の後、その大木は川の浸食によって流れに押し流され、ユーコン川からベーリング海へと運ばれていく。

 海を渡ったトウヒは北のツンドラ地帯に流れ着き、木のないその世界で唯一のランドマークとなる。これに狐がテリトリーの匂いをつけ、やがて、その狐の足跡を追っていたエスキモーに見つけられて、彼の原野の家のストーブの燃料となる。

 ストーブの中で燃え尽きたトウヒは、大気の中に拡散してゆき、そこからまた、新たなトウヒの旅路が始まる。

 そんな、「生の循環」への賛歌が、星野道夫の一貫した姿勢だった。

 20代の頃、親友を山で失い、人生の儚さを痛感するとともに、一度限りの人生を悔いなく生きなければと決心する。そして、アラスカの風景と出会った彼はその風景に導かれるままに彼の地に渡る。

 旅をする木のトウヒのように、流れに逆らわず、自らの周りをピュアな眼差しで真っ直ぐに見つめ続け、そして、あのトウヒのように、生の循環の一つの節目として、彼はいったん去っていく......。

 たぶん、カムチャッカで彼岸に召された彼の魂は、また新たな生の循環の中に下りてきたのだろう。それが、今、星野道夫が再注目され始めたということなのだろう。

 ぼくは、遅ればせながらでも、星野道夫という人の魂に触れることができて幸せだったと思う。

2007年12月記

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