カルチャー [書評]
"Born to Run 走るために生まれた" (クリストファー・マクドゥーガル)
なんだろう、冒頭から以前に何度もこの本を読んだような、あるいは直接著者と会って親しく話したような、そんなデジャヴュとも親近感とも言えるような、不思議な感覚に捉えられ、一気に読み進めてしまった。
たとえば、はじめにこんな話しからスタートしている「『ガープの世界』を読んでから20年も経つのに、 ある何でもない場面がいまだ頭から離れないというのは、何かを物語っているはずだ。...私が何度も思い出すのは、ガープがよく仕事の途中で家を飛び出し、5マイル走りに行ったことだ」。
ぼくも、『ガープの世界』では、ガープが事あるごとに走り出すシーンに、なぜか心を掴まれて作品に引っ張りこまれた。作者のアーヴィング本人がランニングフリークで、どことなくその作品に「ランナー気質」が現れていて、そこに引き込まれているのかもしれない。アーヴィングを敬愛する村上春樹もかなりなランニングフリークだが、あのあまり抑揚のない淡々としたストーリーテリングは、アーヴィングと共通するランナー故の文章という気もする。
村上春樹はともかく、アーヴィングのガープの世界を引き合いに出し、さらに、かつてカルロス・ カスタネダがメキシコの荒野でドンファンと出会って、アルタードステーツへ踏み込んでいったことをマクドゥーガルが意識しつつ、『走る民族』 を求めていくその様子も、さらにケルアックを愛読するバカップルが登場してくるくだりなども、異常なほどに親近感というか共感を呼び覚まされてしまう。
タイトルから受ける第一印象は、それこそケルアック流のロードノベルだが、文明論から人間という「種」の存在論にまで行き着く。
メキシコ北部の急峻な渓谷地帯に走る民族と称されるタラウマラ族が暮らす。外部のものを寄せつけず、荒野の中に隠れるように暮らす彼らは、毎日のように信じられなくくらいの長距離を走り、平然としているという。
ウルトラランニングを趣味とするマクドゥーガルは、いつも何かしらの足の故障に悩まされていた。 薄っぺらい革のサンダルで荒れた山道を駆け抜け、故障などしないタラウマラ族を調査すれば、自分も含めて現代のランナーたちを悩ます足の故障をなくすことができるのではないか...そんな動機から、麻薬密売組織がテリトリーとする危険な渓谷に踏み入っていく。
そこで、カスタネダにとってのドンファンともいえる導師、カバーヨ・ブランコと出会い、ウルトラランニングの新たな世界に踏み込んでいく。
現代医学では、人間が何十kmも何百kmも走ることは、本来ありえないことであり、ありえない無理をするからこそ、故障してしまうとする。ところが、そのありえないことを習慣とする民族がいて、彼らは足の故障など皆無であるばかりか、すこぶる健康で、精神的にも気高い。
快適なランニングシューズが登場したせいで、人は走ることで故障するようになった。そして、あらゆる「快適」 が人を退化させていっている。そんなことをタラウマラ族のライフスタイルや彼らの歴史と対比させながら紐解いていく。
人間は「走る種」としてこの世に生まれた。走ることを思い出し、実践すれば人は本来の人間性を取り戻すことができる。そんなテーゼを実感させるタラウマラ族とアメリカ人のウルトラランニングフリークスとの交流が描かれたエンディングまで、一気にたどり着くと、豪華装備のランニングシューズを捨てて、わざと薄っぺらなマリンシューズを履き、ナイトランニングに飛び出してしまった。
"Born to Run "を読めば、間違いなくランニングが楽しくて仕方なくなる。
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