カルチャー
瀬戸内国際芸術祭でトークライブ
写真・文 内田一成
7月の海の日から始まった瀬戸内国際芸術祭ももうすぐ閉幕を迎える。開催前に30万人を見込んだ人出も閉幕を前に70万人を突破して、地元ではうれしい誤算に活気づいている。そんな閉幕間近の17日、会場のひとつである男木島のドリームカフェでレイラインハンティングのトークライブを開催した。
瀬戸内の島々には、今まで何度か渡っているが、いつもは乗客まばらなフェリーが、なんと自動車デッキが立ち席となって、定員一杯の状態。それでも高松港では乗り切れない乗客が溢れて、臨時便が次々に増発されている。
その乗客の顔ぶれは、20代30代の若い女性が中心で、韓国台湾からのおばちゃん団体客、大きなバックパックを背負った欧米からのフリー客が目立つ。
今回の芸術祭は、国内外のモダンアートの作家たちが島を舞台に自由な発想で創り上げた作品が展示されているが、理屈なしに感覚で楽しめるアートだからこそ、これだけの人たちを集められたのだろうか? システムばかりが先走りして、浅墓で幼稚なゲームやSNSが蔓延り、合理性ばかりを追求した金融資本主義が王様として君臨する今の世の中、理屈などなしに、心地良かったり逆にバランスを欠いて不思議な感覚がする空間と作品の中に身を置いて、「何か」が実感できることが、人をひきつけているのかもしれない。
男木島では、フェリーを降りると急峻な南斜面にへばりついた集落が目の前にある。その集落への入口に鳥居があって、上陸した人たちはこの鳥居を潜って、作品が点在する集落へと登っていく。
鳥居を潜って、上陸した港のほうを振り向くと、鳥居の真ん中に額縁の中に描いたように、きれいな円錐形の島「大槌島」が浮かんでいる。とても印象的な光景なのだが、作品巡りに忙しい人達は、この光景に気づかずに先へどんどん行ってしまう。
男木島は集落の最上部にある豊玉姫神社のご神体山を中心にして、周囲を歩いて巡っても1時間ほどの島で、普段は小規模な漁業と農耕が中心の過疎の島だ。かつては、牛を育て、その牛を高松に使役牛として貸し出して、その礼金を主な収入源にしていたという。
普段はほとんど人影のない両脇を石垣に挟まれた急坂の狭い路地にはフェリーから吐き出された観光客がひしめいている。
今回の会場となったドリームカフェは、集落の上部にあって、豊玉姫神社を背にして、前方はひしめく瓦屋根の間から光が煌めく瀬戸内の海を見通す気持ちのいい場所にあった。今回イベントを主催してくれたアーキペラゴの三井さん片山さんと、ご当地バーガー「めおんバーガー」(男木島とその南に浮かぶ女木島は地元では一対の島とされ、親しみを込めて『めおん』と呼ばれる。地元の魚のすり身のフライを挟んだバーガーはボリュームもあって美味だった)とビールで腹ごしらえしながら打ち合わせ。
点在する五つの島が会場ということもあり、みんな船のダイヤを気にしながら巡っているので、ここで足を止めてじっくり話を聞いてくれる人がいるだろうかと少々不安だったが、蓋を開いてみるとそれも杞憂だった。
イベントに先立って男木島周辺をシミュレーションしたり、GPSを片手に実地に調べてみたりしたが、そんな中で面白い事実が見つかった。
港に立てられた鳥居が大槌島をその中に収めているのにはワケがあるだろうと直感したが、これは、男木島の豊玉姫神社から大槌島が真西にあって、この鳥居からも神社からも春分と秋分の太陽が大槌島の真ん中に沈むことがわかる。
さらに、この豊玉姫神社を中心として見ると、夏至の日の入りは北西に浮かぶ直島の地蔵山へと沈み、冬至の入日は四国本土の五色台峰山へと沈む。直島も男木島も讃岐に流刑された崇徳上皇に付き従ってきた家来たちが住み着いたという伝説があるが、その崇徳上皇が祀られる五色台に冬至の夕陽が沈むというのは、太陽の復活を願う冬至祭り(クリスマスもそのルーツは同じ)と重ね合わされる。
また、豊玉姫神社の本殿は方位角で188°を指している。これは当初、南を向くのがスタンダードである神社の例に漏れず、特段の意味はないと考えた。だが、南南西の方向に豊玉姫と対をなす山幸彦を祀った加茂神社があり、調べなおしてみると、豊玉姫神社から加茂神社の方向が188°だった。
男木島の豊玉姫神社は周囲の島々の同じ神社の総社となっている。他と比べて小さく、人口も少ない男木島にどうして総社が置かれるのか、それは男木島の豊玉姫神社が太陽信仰の聖地として特別な位置を占めていることで明らかだ。
拙著『レイラインハンター』でも冒頭にGPSを携えて聖地を検証する旅を続けているうちに、土地に対する一種の勘のようなものが研ぎ澄まされてきて、機器で検証する前にその土地が特殊な土地であるという感覚が沸き起こるようになった。
古代ローマの兵士たちは、大都会であるローマから辺境地方に配備されたとき、古代信仰が色濃く残る土地に独特の雰囲気を感じて、それを『ゲニウス・ロキ=地霊』と名付けた。自分自身が、そんなローマの兵士と同じような感覚を取り戻してみると、そこここにその土地独特のゲニウス・ロキが沸き立っていることを感知できる。
そして、面白いのは、今回の芸術祭の会場をいくつか訪ねてみると、必ずといっていいほど、そんなゲニウス・ロキを強く感じる場所をアーティストが選び、作品もそれをさらに強調したようなものが多いことだ。
アーティストたちは、ぼくのようにGPSを使ったり、土地の歴史と信仰を地理と重ねあわせたりするのではなく、もっと感覚的にゲニウス・ロキを具体化しようとする。たぶん、アーティスト本人にとっても、理屈などなく、ゲニウス・ロキに感化されて自然に生み出されたものとして、そこに勝手に存在するようになるのだろう。
モダンアートの作品は、どれも奇抜で目立つものが多い。でも、それこそ中世の頃から変わらない素朴な瀬戸内の「島」の風景の中にあって、不思議に調和している。
近代以降、合理化均質化されたモノや価値観の中で溺れさせられてきたせいで、現代人は再び古代の精神に惹かれて、それが端的に現れた今回の芸術祭のようなところへ引き寄せられているのかもしれない。
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