コラム [テルテルおじさんからの便り]

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ある消滅寸前の集落の老人

文:藤野完二、写真:森田桂治

テルテルおじさんからの便り

先日、中山間地集落調査である消滅寸前の集落を訪ねた時に遭った今にも崩れそうな家に一人で住んでいる老人から聞いた話しです。

87歳になるこの老人、数年前に連れ合いを失い、その時、自分も体調を崩したことから一度は都会の子供の家に世話になった事があるそうです。

子供の家では嫁が良くしてくれて、三度の食事の準備、洗濯、掃除、買い物は全て嫁がやってくれるので、毎日、何の心配も無く生活できたそうです。

田舎と違って外出は車が多くて危険なので、外出は出来るだけ避けて、家でテレビの前にいることが多いけど、テレビをつけても、目が悪くて画面は見えない。
耳も遠いので何を言っているのか聞こえない

毎日考えたり、する事といえば

「何時、どんな風に死ぬのだろう」

ということだけ。

だんだん、子供の家にいることが辛くなり、子供達と上手く行かなくなって、ここに帰って来た。一人で山に住む様になってそろそろ5年になる。

山の家では朝目が覚めると、朝飯の心配をせにゃならん。
ご飯は残っとるか?、おかずは何するか?、汁の具は?、漬け物は?等々勝手に頭を使う。それが楽しい。

朝飯が済んだら、掃除、洗濯、洗い物、が待っている。
それが終るともう昼飯の心配をせにゃならん。それも楽しい。

昼飯が終ると、庭や畑で雑草や野菜が「早う来い!」と呼ぶから行ってやらにゃならん。

畑や庭にいると時間は「あっ」と言う間じゃ。

夕方、頃合いを見て風呂を立て、夕飯に取り掛かる。

風呂にいって、夕飯喰うって、洗い物したら、もう、布団が恋しゅうてならん。

布団に入ったら暗がりで婆さんのことでも考えよったら、何時の間にか寝てしまう。テレビはいらんない。

こんな、毎日が楽しゅうてならん

飯の心配も、洗濯、掃除、畑仕事、全部が楽しゅうて楽しゅうて・・・。いつか、この家で、誰にも見取られることなく、もうニ度と目が覚めん日が来るのだろうが、今の、わしはそれで十分じゃ。

覚悟というより気持ちがそうなっているし、恐いと思うていない。

と話してくれました。

この話を聞いた直後はショックでした。

でも、時間を置き、自分の生き様や死のスタイルを考えた時

「生きているそのこと事に喜びを見出している」

言葉で上手く表現できませんが、この老人の話の中に、現代人の私達が忘れてしまっている、大変大きな意味が隠されているように思えてきたのです。

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