カルチャー [映画評]

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文:内田一成

 "Mother Earth" "Gaia" "Water Planet"...... 地球が人類にとってかけがえのないものであることを言い表す様々な言葉がある。どれも、今のこの環境危機の時代にあって、ズシンと心に響いてくる言葉だ。潤いに溢れ、様々な生き物を育み、稀有な存在として宇宙に浮かぶ星。

 だが、一方でこれらの言葉は観念的で美しすぎ、現実の垢にまみれて生きている「生活者」の視点からは、 どこか遠い存在にも感じられてしまう。

 昨年公開された"Earth"という作品があった。氷が消えつつある北極、そこに住む白熊の追い詰められた状況から、世界中の生物を追いかけながら、環境悪化の現実と地球の自然の素晴らしさが語られていく。まさに、マザーアースを実感させる作品だった。

 だが、まだ、「生活者」の感覚からは遠い感じを抱かせた。

 "HOME=家"、このシンプルな言葉は、「生活者」としての我々の感覚にすんなりと入ってくる。

 極地や熱帯雨林、タイガ、草原、砂漠......地球の「生=なま」の姿を丹念に追う一方で、集約された農業や畜産、都市、スラムといった、 近年に人間が改変して行った地球の姿が対比されていく。

 生=なまの自然は、見る者を無条件に神々しい気分にさせる。一方、人が自分たちの効率を追求するために作り上げた様々なモノは、周囲から調和を欠き、醜く見える。 

 "HOME"は何も語らない。だが、そこで綴られていく光景を見ていくうちに、「ゴミの中に住んでいると、自分の周囲を満たすものがゴミだとは次第に感じられなくなり、無感覚になっていく」といった思いが募っていく。

 快適な暮らしを享受する一方で、そのつけを押しつけられる人と土地がある。自分が住む小さなHOMEは快適で清潔でありながら、そこで生み出されるゴミは、車の窓から平気で捨て、様々な廃棄物も近所に垂れ流しする。きれいで現代的な小さなHOMEの周囲は、悪臭紛々たるゴミに覆われ、飢えて病んだ人たちが喘いでいる。

 小さなHOMEのエゴが大きなHOMEをどんどん破壊し、汚染していく。大きなHOMEがなくなれば小さなHOMEは成り立たない。

 一方、古来の生活を守り、自然と共生した"小さなHOME"を営む人たちもまだ存在する。それが、 この"HOME"という作品の救いとなっている。

 長い時間をかけ、全地球を取材したこの作品は、Youtubeなどで無償公開されている。1時間半あまりの素晴らしいHD映像をいながらにして観られる。これは、インターネットの素晴らしい恩恵の一つだと思う。

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