カルチャー [書評]

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n°__f°

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文・写真: 内田一成

 子供の頃から広大な風景に対する憧れがあった。

 ぐるりがすべて地平線まで続く草原。空には鈍色の雲がたれ込め、冷たい風が吹き渡っている。その草原の真ん中に一人佇み、ただひたすら風に吹きさらされている。そして、気づかぬままに悠久の時が経ち、ぼくは細かい砂となって広い大地に拡散していく......。

 何度も、そんな夢を見た。

 いつしか、その荒涼とした草原は「パタゴニア」という具体的な地名と結びついた。それは、中学か高校の地理で南米の「パンパ」 という大草原の存在を知ったことがきっかけだったかもしれない。

 ぼくが幼い頃から白日夢のようにイメージしてきたその光景は、ガルシア・マルケスやボルヘスの作品を読むうちに、南米の風景として定着し、チャトウィンの『パタゴニア』に触れることで、確信へと変わった。

 そんな話をnさんとは夢中になって話した。nさんは、ぼくの心象風景としてのパタゴニアを同じようにイメージしてくれた。

 "n°__f°"は、nさんが南米チリに住むfさんとネットを通じて、互いの心象風景を交換したトポロジカルなpoetペーパーともいえる作品で、 n°= 35°27' N Yokohama Japan と f°= 33°38' S Santiago de Chileという地球の向こうとこちらの季節の風景とその風景に込められた想いがシンクロして、独特の世界観が形作られている。

 f°の世界では、湿った冷たい風が絶えず吹きすさび、それが人を拒む荒涼を生み出す、まさにマルケスやボルヘスの世界。でも、そこには自然が無機質で冷たいからこそ、人々は鮮やかな色彩で身の回りの世界を横溢させ、ひたすら朗らかに生きようとする。だが、人の生は儚く、気がつけば自然の無機質の力の前に色彩は色褪せ、荒涼に飲み込まれていく。だが、それが哀しいわけではなく、人々は代々、その移ろいを淡々と受け継いでいく。

 n°の世界では、繊細で色彩豊かな世界にあって、人は逆に自己の存在をひたすら透明にしていこうとする。 優しく吹き抜ける風のように、息を詰め、あるがままの自然の中に消えゆくようにして、自然を見つめる。

 そんなf°とn°の世界が並列的に置かれると、何故か、対極にあるはずの世界がどちらも馴染み深く懐かしい世界に見えてくる。結局、 「荒涼」といい「繊細」といっても、そこはマザーアースが人を包み込んでくれる世界であることに変わりがないということなのかもしれない。

 子供の頃から、f°の世界に憧れてきた。そして、n°の感性に生まれ育った者として、f°の世界でも、自分はその荒涼の世界に 「無化」していきたいと思う。

 n°__f°は、昨年12月から刊行を始め、この9月に計4号が発行された。それを通読し、並行して表現されていたサイトを味わっていると、パタゴニアがより身近に、そしてますます自分の内にあるもっとも親しみ深い心象世界として迫ってくる。

 そろそろ本当のパタゴニアがぼくを呼んでいるのかもしれない。

n°f°

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