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グリーンカラー(green collar)

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文・写真: 内田一成

 今月のナショナルジオグラフィック日本版の表紙は、ぼくにとっては、なんとも馴染み深くかつ羨望を覚えるものだった。

 樹高100mを越えるレッドウッド=セコイアに取りついた一人の人間。赤いジャケットを着たこの人を見れば、木の大きさが想像を絶するものであることがわかる。

 このコラムでも何度か紹介しているが、「ツリーイング」というアクティビティ、技術がある。もともと、 この写真のような大木を剪定したり伐採したりするために主に北米で開発された技術で、ロッククライミングのようにロープワークを駆使して大木に登り、しっかりとビレイを取って安全に作業するためのものだ。

 日本ではアクティビティとしてようやく普及しはじめたところだが、本場では、この写真のように樹木や生態系を研究する学者がツリーイングの技術を用いて大木に登り、あるときはそこに滞在して、フィールドワークを行っている。

 ちなみに、ツリーハウスのビルダーも同じ技術を使って、樹上で作業を行っている。

 今、欧米の森では、林業関係者の間にも大きな生態系を維持するために、皆伐という従来の方法から脱して、森を育てながら、その一部を資源として活用しようという動きが広がっているという。

 森林生態学者が木材業者の所有林に入り、アセスメントを行って、伐採していい木と保存すべき木を選定する。理想的には森の保水力や対風力、地表面への日射などを考えれば間伐が理想的なのだが、場合によっては山の一部分の木を集中的に伐採しなければならないこともあるが、その際には土壌が流出して川へ流れ込まないように、川と伐採地との間に一定の幅を持ったグリーンベルトを設けるといった方法がとられる。

 長年、同じ職場で同じ仕事をしてきても、ある日、視点を変える出来事が起こり、そこから仕事の質も内容もアプローチもまったく変わってしまうことがある。エコロジカルな視点が導入されて以降、欧米における林業は、森を単なる「原料供給地」ではなく「エコロジーサイクを維持する重要なファクター」とみなすようになった。そこで働く人たちも、単なる労働者から自然環境と多くの人たちの生活を守る森の維持管理者であるという意識を持つようになったという。

 昨日はツリーイングのイベントで一日の大半、樹の上にいた。

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 時折強く吹く風に煽られて、レッドウッドの1/1000にも満たない体積の樹は大きくしなる。その動きに身を委せていると、樹が生き物であるということが実感できると同時に、目に見えない「風」が樹のしなやかな動きによって可視化され、何かのメッセージを伝えているかのように思えてくる。あるいは、地球が奏でる音楽に合わせて木とともに踊っているようにも思えてくる。

 レッドウッドを育む大森林は地球環境を守るために重要な役割を果たしているけれど、こうした街中の小さな森もかけがえのない貴重なものだ。それは、自分がこの小さな自然によって安らぎを覚えることでも、また、イベントを通じて、今まで木と触れあったことのない子供たちが(最近の親世代では大人も木登りをしたり野原を走り回った経験のない人が多いが)、木と共に風に揺らぎ、「木の目線」ともいえる高さから世界を観ることで、自然を感じる心=センスオブワンダーが呼び覚まされるのを間近に見ることでもよくわかる。

 90年代の初期から、欧米では自然環境分野で働く人たちを「グリーンカラー」と呼ぶようになった。デスクワーカーである 「ホワイトカラー」、肉体労働の「ブルーカラー」に対して、緑と触れ合い、緑を増やす発想を生かす仕事をする「グリーンカラー」。グリーンカラーは、考えるだけでなく行動する。

 環境ビジネスに従事していても、ただオフィスで事務処理をしたり、自ら現場で泥にまみれることがなければ、それはホワイトカラーだ。また、環境に対する自分のスタンスと意見を持たず、ただアウトドアアクティビティをガイディングしているのはブルーカラーだ。

 ニューヨークの環境活動家マジョラ・カーターは、「グリーンカラー」という言葉を強調する。「これからは、『グリーン』を流行語に」 と。

 彼女はニューヨークのサウスブロンクスに生まれ育った。ここは、アフリカ系アメリカ人が多く住み、 犯罪多発地帯として知られる場所だが、発電所や廃棄物処理場など、都市の「負」の機能が押しつけられている場所でもある。

 そもそも、サウスブロンクスが荒廃したのは、70年代にニューヨーク市の財政が窮迫し、公共投資が行われなくなったことが背景となっている。公共投資がなくなると、民間資本もここに投資をしなくなり、さらに銀行も融資を停止した。サウスブロンクスにアパートなどを所有していた家主は、建物の修繕などができなくなり、自分の所有する建物を焼失させて火災保険を受け取って、土地などを放棄した。

 マジョラ・カーターは、幼い頃から犯罪を間近にして育った。彼女の兄はベトナム戦争に従軍し、無事に戻ってきたが、自宅近くで強盗に射殺されてしまう。

 1998年、彼女は一匹の捨て犬を拾って育てはじめる。その犬が大きくなり、散歩をさせているとき、 廃棄物施設とゴミの山しかない方向へ彼女を引っ張っていく。行き着いた先は、イーストリバーの川岸だった。彼女は、生まれ育ったこの土地に、そんな場所があるのを知らなかった。ゴミの山を抜けていった先に展開した美しい風景に魂を奪われた。

 そして、荒廃したサウスブロンクスを緑の街として生まれ変わらせるために立ち上がる。

 彼女の精力的な活動によってイーストリバーの川岸にウォーターフロントパークが作られ、さらに街路や鉄道高架下のスペースが緑地化、緑道化されてゆく。さらに、ブロンクスの古いビルの屋上を緑化して断熱性を高めると同時に新鮮な野菜を得る「グリーン・ルーフ」 を考案して広めていく。

 彼女は、今、アメリカで最も影響力の強い人物の一人になっている。

 都会の荒んだゲットーで生まれ育った貧しい一人の女性がグリーンカラーの道へ進むきっかけとなったのは、身近な自然だった。

 雄大な大自然に立ち向かい、人間の卑小さを感じることも大切だし、一方で、身近な自然に親しみ、これを保全する具体的なアクションを起こしていくことも重要だ。

 長くアウトドアに親しんできた一人として、大自然と身近な自然の両方を見据えた本物の「グリーンカラー」でありたいと思う。

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