「高速船」とは名ばかりの古びたモーターボートに乗って、豊島(てしま)に降り立った。周囲20km、人口1000人あまりの瀬戸内海に浮かぶ小さな島……瀬戸内基準でいうとかなり「大きな」島の部類になるそうだが。
若い頃、あちこちと旅をしていたが、「島」はあまり興味の湧く旅の目的地ではなかった。
ぼくが生まれ育った田舎は、痩せて乾いたスイカ畑くらいにしか使えない土地がまるでゴビの砂漠のように地平線まで広がり、東は太平洋に面して70㎞あまりも単調な海岸線が続く関東平野の東端に位置していた。その中に放り出されたら、頭の中が空っぽになってしまうような広大な風景……それがぼくの『原風景』だった。
そんな原風景を心に抱えて、ぼくは、「もっと広い世界が見てみたい」と幼い頃から思っていた。そして、長じて向かった先は、人跡まれな砂漠や高地ばかりだった。「この世の果てまで、力尽きるまで突き進んでいきたい」……広さやダイナミックさへの憧憬がぼくの若い頃の行動指針であり、旅やアドベンチャーのモチベーションだった。だから、「島へ行く」という選択はその頃のぼくにはありえなかった。
だが、いつからか、広大な世界を無闇矢鱈に駆けずり回るよりも、豊島のようなこじんまりとした自然の中に身を置いてしっとりとした時間を過ごし、そこに暮らす人の営みに触れることが好きになっていた。
それは、自分がそういう歳になったということかもしれない……そう考えると、大自然と対峙することを無上の喜びとして、そのまま自らも自然の一部へと戻っていってしまった山やアドベンチャーの先輩たちのことを思い浮かべる。彼らも、今のぼくの歳くらいまで生きていたら、もしかしたら、小島の自然や人情に安らぎを覚えるようになっていたのではないだろうかと。
ぼくが、「島」に魅かれるきっかけとなったのは、15年ほど前に取材で訪れた喜界島だった。 ここで、 毎夜、 地元の爺さん婆さんに呼び出され、浜で野生のヤギを潰して焼肉にして、「兄ちゃん、喜界島ではな、 日が暮れると朝日が出るんじゃ」 と、島産の黒糖焼酎『朝日』を浴びるほど飲まされた。
飾らない、純朴な気風の島人たちの仲間に入り、昔のままに封印されたような暮らしをしばらく続けるうち、それまでの自分の志向と対極にあるような島の狭さやのんびりした時間の流れが、好ましく思えるようになった。
その後、「島フリーク」といえるほどのめりこんだわけではないが、「島」独特の周囲から隔絶された故の個性や、穏やかで細やかな自然に魅かれるようになったのだ。
「豊島に行きませんか?」 Gofieldのボスであり、e4プロジェクトの仕掛け人でもある森田氏に誘われて、豊島のことを聞くと、そこは「産廃の島」であるという。
「産廃の島……?」
1990年、豊島の西端にある海岸の埋め立て処分場に、 シュレッダーダストを主にする違法な有害廃棄物が大量に投棄されていることを島民が告発した。そして、ここから、 島民たちの粘り強い産廃撤去運動が開始される。
わだつみの神である豊玉姫の伝説が残る静かでほのぼのとした自然が残るこの島を現代文明の汚点ともいえる産廃の島にしてはならない… …島に対する愛情を一身に背負って、住民たちはピケを張り、行政への陳情を繰り返し、ついに10年の歳月を費やして、産廃現場を現状復帰する訴訟に勝利する。
そのプロセスは、粘り強い住民運動の手本とされ、とくに四国香川の人たちの心に印象深く刻まれた。
森田氏は、そんな四国の人にとっては『住民運動勝利』の肯定的な意味合いを持つ「産廃の島」という表現をしたわけだが、唐突にその言葉を聞くと、「どうして、産廃の島がお薦めなのか?」と疑問に思ってしまう。
今回の豊島行きでは、住民運動勝利の経緯やその現場を訪問することが目的ではなく、産廃問題は別として、豊島が本来持っていた魅力を掘り下げたいと思った。産廃問題は、この島の現代史を語る上で重要なエピソードではあるけれど、ぼくのような四国人ではないよそ者にとっては、「産廃の島」では、さすがにネガティヴな先入観を持ってしまう。対外的には、もっとこの島の魅力を伝えるキャッチフレーズを前面に出したほうがいいだろう……たとえば「女神に見守られた島」とか。
島では高速船の発着場である家浦港に面した"HITAKI"をベースに、 オーナーの栗生さん所有の2速ギアの入りが渋い軽トラを借りて、チクチクと走り回った。"HITAKI"は島の空き家になった民家をシンプルに改装したバールで、 島のおばちゃんが作る米粉のパンとオーナー厳選のワインが自慢。名前の由来は、ポリネシアの舟に宿る女神で、豊島を統べる女神、 豊玉姫に因んでいる。
女神に見守られていることを実感できる長閑な景色を愛でながら、暖かい日差しを浴びて、昼間からワインを傾けるなんてまさに至福だが、とりあえず島巡りを終えるまでは我慢……。
島は、標高340mの壇山をピークとして、全体に起伏に富み、徒歩や自転車で移動するには少々辛い。朝の高速船で一緒だった島でボランティア活動をする女性は電動アシスト自転車を移動の足にしていると言っていたが、一周8kmの周回道路とそこから放射状に伸びた道を行くには、電チャリはベストチョイスだろう。
森田氏とぼくは、とりあえず軽トラをギシギシいわせながら、島の端から端まで巡った。
豊島は、中央の山地の北側と南側では植生も風景もだいぶ異なる。北側は緑が濃く、 山裾に平地が広がっていて、里山の雰囲気が色濃いが、南側は地肌や岩盤がむき出しの乾いた風景で、 その環境を生かしたオリーブ園なども広がり、青い海が山に迫って地中海の島のようだ。
素朴な里山の雰囲気に浸りたいなら北側、白砂の海岸に寝そべって地中海リゾートの気分が味わいたいなら南側と、ほんの少し移動するだけで、二つの世界を味わうことができる。小さな峠を一つ越えただけで異世界に飛び込むことができるのも島の魅力だ。
HITAKIで、島の最高峰壇山の頂上で最近、古い豊玉姫の祠が発見されたと聞いた。それを目指して軽トラに鞭打って頂上まで登ってみたが、辺りは古代の磐座を思わせる岩盤はあるものの、三角点とNTTのマイクロウェーブの鉄塔があるだけだった……。
後で確かめてみると、祠が見つかったのは南北に二つ並ぶもう一つのピークのほうで、 そこは中腹にある豊峰権現から登っていくのだとのこと。スダジイを主体にした鬱蒼とした原生林に包まれた豊峰権現は、 よく見ると木造の社の裏手にご神体と思しき巨岩があって、そこに小さな祠が鎮座していた。本州の山岳信仰でいえば、 明らかに山頂の奧宮から勧請した里宮の体裁で、当然、そこから背後の山嶺に向かって径が延びていることが類推できたはずだが、 そんなセオリーを忘れてしまうということは、 豊島の豊玉姫は一見さんに顔を合わせるのは恥ずかしいと思うシャイな女神なのかもしれない。
ぼくとしては、豊玉姫に会うために豊島を再訪しなければならないと大義名分ができたので、ちょっぴり嬉しくもあるのだが……。
豊島には古くからの特産品として「豊島石」がある。 角礫質凝灰岩という水に浸食されやすいけれども熱に強い石で、これを灯籠などに加工すると、 すぐに苔むして古錆びた味わいとなるので、そうした風雅を求める人に珍重され、京都桂離宮や大阪住吉神社でも使われている。
その豊島石の採掘場が、不思議な雰囲気で面白いそうなのだが、残念ながら今は一般には開放されていない。
だが、島の各所には、石垣や神社の鳥居、狛犬などにこの豊島石が用いられていて、その独特な風合いが、島の雰囲気を奥行きのあるものに演出している。
島の南部に広がるドンドロ浜の岸辺には、大きな共同墓地があるが、その古い墓は豊島石の墓石で、何やら古代のストーンサークルに用いられた列石のような風合いがある。この墓地には、 十字の刻まれた切支丹墓もある。今回の訪問では、この島のキリシタンの由来までは知ることができなかったが、今でこそ主要交通から外れて、取り残されたような島も、古代から中世にかけては海上交通の要衝として、当時とすれば先端の文物や思想が真っ先に入ってきていたのだろう。
豊島石で面白いのは、島のあちこちに見受けられる首のない地蔵だ。
沿道のあちこちに佇む首なし地蔵は、それだけ見ると不気味だが、由来を知ると、豊島の人たちの視点のユニークさに、密かな笑いがこみあげてくる。
室町時代、この島を統治していた豊島左馬之介は、攻め入ってきた細川勢に破れ、山中に身を隠した。ところが、傍らから雉が飛び立ったことから見つかり、斬首されてしまった。その不憫を悼み、島民は首のない地蔵を祀って、左馬之介の霊を弔った。
時が経って、首のない地蔵では可哀想だと、首を作って載せたところ、その首を安置した人の病気が治り、願い事がかなった。その話が広まって、首のない地蔵に首を作って安置し、願い事が叶うと奉納する習俗が生まれた。
島の南、ドンドロ浜近くの薬師寺には、願いが叶った首だけが集められた地蔵堂がある。これも、由来を知らずにここだけ見たらゾッとしてしまいそうだが、由来を知って、一つ一つの首を眺めてみると、いかにも手作りの個性豊かな形と表情で、自ら石榑に向かって慣れない鑿を振るう人の姿が浮かんできて、微笑ましくなる。
空間的には、軽トラックでチクチクと半日巡ればほとんどの場所を踏破できる豊島だが、まだまだその歴史や文化の奥行きは深そうだ。
来年は、この豊島を含めた瀬戸内の七つの島を舞台に「瀬戸内国際芸術祭」が催される。世界中からアーティストが集まり、それぞれの島の雰囲気にインスパイヤされた作品がこれから作り上げられていく。
七つの島はそれぞれに独特のゲニウスロキ=地霊が宿っている。その地霊をどんな形でアーティストたちが形にしていくのか、今から楽しみだ。
ぼくとしては、石を刻んだりオブジェを制作するといったことは苦手なので、この豊島を含めて、七つの島にそれぞれじっくり滞在して、継続的にレポートを掲載していきたいと思う。