豊島を訪問した翌日、徳島を訪ねた。徳島全域で有機農法や低農薬野菜、さらに安全な食品を提供している「コープ自然派徳島」が徳島県内の農家と連携して有機農法で米を作り、冬でも水を張って湿地化する取り組みを始めたところ、冬にナベ鶴が飛来するようになったのだという。
ナベ鶴は、全世界に1万羽が棲息するとされ、そのうちの90%が鹿児島県の出水市で越冬してきた。今までは、当たり前のように出水市まで飛んで行っていたナベ鶴の一部が、この徳島の有機農法米の田んぼに魅かれ、ここで越冬することにしたというわけだ。
何故ナベ鶴が越冬地を鞍替えしたのかは、ドリトル先生にでも聞いてもらわなければ真相はわからないが、有機農法と冬の水張りを実践するようになった田んぼには、メダカやタニシ、ヤゴやガムシといった昔の田んぼには当たり前に棲息していた水生昆虫たちが楽園を作るようになり、今では希有ともいえるその環境に引き寄せられたのが一因だろう。
そもそも出水市に全生息数の90%が飛来してきたということが不思議だが、今、心配されている鳥インフルエンザが蔓延したりすれば、それがいきなりナベ鶴という種の絶滅に繋がりかねないリスクをはらんでいるわけで、徳島の田んぼなどに分散することはそのリスクを減らすということでも歓迎できることなのだ。
「地力」という言葉がある。太古からその土地に住みついてきた微生物や菌類が少しずつ有機物を生みだし、土地を肥やしてきたその「力」のこと。昔の農業は、その地力を最大限に生かすように、人がきめ細かく手を入れ、労力を注ぎ込むことで、健康な野菜や米を作っていた。
ところが、「人力」を節約するために、農薬や化学肥料を大量にばらまいたことで、雑草とともに土地を肥やしてきた微生物や菌類も死に絶え、地力は衰えてしまった。
そうした「地力」を復活させて、そのポテンシャルを高めることが、「鶴を呼ぶお米」の原点だった。
有機農法というと、手間暇がかかり、収量はわずかで、できた野菜はいびつだったり虫食いがあったりといったイメージがある。さらに、有機農法を実践するためには膨大な知識と経験が必要で、田畑を拓いて安定させるためには忍耐が必要だといった先入観がある。
ところが、今回、この取材をアレンジしてくれたコープ自然派徳島の佐伯さんは、本当の有機農法は、新規就農者に最適で、収量を飛躍的に伸ばす近道なのだという。
どういうことかといえば、コープ自然派徳島で佐伯さんや土地の改良指導に当たる中村さんが推奨する有機農法のスタイルというのは、先に上げた「地力」をいかに回復して、土地のポテンシャルを上げるかということを主眼として、土地の栄養価やPHを科学的に測定して、それを作物の品目に応じたレシピに合わせて調整していくというもので、その「ベーシックメニュー」に従えば健康な作物が豊富に実るのだという。
さらに「ベーシックメニュー」を元に、農家自身が自分なりの工夫をして、センスを生かしていくことで、収量も比較的簡単にアップしていくのだという。
「じつは、私たちが推奨している有機農法を実践してもらうのにいちばん苦労しているのは、普通の農家さんなんですよ。この農法に切り替えて収量もアップするし、健康な作物が作れると、データを示して話しても、『素人に何がわかる、自分たちは長年農業をしてきて、土地のことはよくわかっているんだ』とね。反対に、新規就農する人たちは余計な先入観がないから、まずはレシピに従って安定させて、その先は自分たちで様々に実験して、どんどん新しいノウハウを開発しながら楽しく農業をしているんですよ」と、佐伯さん。
とはいっても、この農法に興味を持ち実践している既存農家も少なくない。鶴を呼ぶお米は、まさにそういう農家から生み出されている。
佐伯さんは、まずゴーヤを栽培している坂野さんのハウスに案内してくれた。
かまぼこ形のビニールハウスの左右の支柱から天井に向かって蔓を伸ばしたゴーヤは、ハウスを緑のトンネルに変え、今、まさに盛りのゴーヤの実がたわわに下がっている。ハウスの中の地面に切られた畝ではキュウリを栽培し、冬場のキュウリを収穫するとほぼ同時に両側からゴーヤが蔓を伸ばしてきて、今時分、収穫のピークになるのだという。作物の特性の違いに目をつけ、空間を最大限に利用しているわけだ。
坂野さんの畑では、土壌の安定を確保するために、ミネラルを補充しつつ、土壌菌を培養して散布している。畑の世話をしつつ、菌を培養して発酵させる「醸造家」としての仕事もこなす坂野さんは、土地に触れて、それが自分の見立てと世話で思ったように肥え、そこから健康的な作物がたくさん生み出されるのが楽しくてたまらないという。
佐伯さんが次に案内してくれたのは仲間と農業法人を立ち上げて、離農農家の畑を借り、有機トマトを育てる井口さんの農場だった。都会が良く似合いそうな溌剌とした好青年の井口さんは建築関係の仕事から介護関係へと変わり、さらに農業に転身して6年目のまさに新規就農者で、「農業法人」という経営手法も、有機農法のアプローチも、まさに今の農業の最先端といえる。
この農場では土壌の安定剤として、主に「液肥」と呼ばれるものが用いられている。これは、豆腐の絞りかすであるオカラを主原料にして、これをパン酵母で発酵させ、液状にして施肥される。
ハウスの傍らにあるタンクを開けて見せてもらうと、ついこの間、自分で作ったビールのような泡と香りが漂ってきて、ふと、またビールを仕込まねばなどと思ってしまった。それはともかく、ハウス内の地面のPHをモニターしながら、ハウスの地中に張り巡らせたパイプを通して液肥を侵出させることで、トマトの品種毎の最適なPH値を保つと同時に、酵母によって生み出されたアミノ酸が、たっぷりとトマトに栄養と滋味を染みこませていく。試しに、熟れたトマトを一つ取っていただいてみると、それはとても甘い上に、奥行きのある味わいが噛むほどに湧き出してくるようだった。
就農6年目の井口さんに、休みのときは何をしているのかと質問すると・・・いかにもイケメンで作業着もこざっぱりとアウトドアスタイル然としているので、気晴らしには都会へ出掛けそうに見えたのだが・・・今は、土を見て、作物を見て、畑の手入れをしているのが最高に楽しいので、休みの日もついつい農場へ出掛けてきてしまうと答えが返ってきた。
井口さんは、ぼくたちと同行した土壌改良指導の中村さんと、熱心に土壌分析の話をしていて、その様子を見ていると、「三ちゃん農業」といったネガティヴなイメージなどどこかに吹き飛んで、農業は科学であり、工学であり、好奇心を持って取り組む人にとっては、この上なく楽しいクリエイティヴな仕事なのだと思えてくる。
もちろん、気候に左右されやすく、天災などのリスクも大きいが、たとえば、それらは「オーナー制」としてユーザーにもリスク負担をしてもらったり、傷ついた作物を別な形の加工食品にするといった方法も考えられていて、そうしたマネジメントまで含めて、農家が主体的に動いていくことで、農業そのものがとても面白い産業として光を浴びていきそうな気がする。
この井口さんの農場では、土壌改良のもう一つの試みとして、地場産の椎茸栽培で出た菌床と竹林から切り出した枯れ竹に鶏糞を混ぜた有機肥料を施肥している。
液肥で用いられるオカラも含めて、すべて近隣から集められるもので、まさにサステイナブルな循環構造が出来上がっている。
「サステイナブル」という言葉は、最近、耳にタコができそうなほど、どこでも使われていて、意味希薄な言葉の代名詞のように本来の意味が薄くなってしまった気がするが、こうして、地域に根ざして、地域の中でうまい循環が生みだされているのを見ると、こういう具体例から発想していくのが正しいのではないかと思う。