エルダー(Elder)という植物があります。 ラテン名 Sambucus nigra、 和名は セイヨウニワトコ (*) 。
その成長著しく どんな土地でも文句を言わず茂り 剪定した枝を挿しておけば ほぼ100%発根。
春にはクリーム色の小さな花が集まった傘状花序がボンボンと開き 初秋には真っ黒の実が 枝も折れんばかりにフサフサと生る。 野鳥その実を好み どこへでもポットン。 そこからまたたぶん発芽しているのでしょう。 おまけに ひこばえまでどんどん伸ばし 勢力範囲をますます広げる 我が庭の 一二を争う成功植物。
* ちなみに 日本に生えているニワトコは Sambucus racemosa subsp. sieboldiana:セイヨウアカミニワトコ だそう。 こっちのエルダーは黒い実(nigra)です。
もちろん こういう過激繁茂系植物は 近代ニュージーランドの園芸家からは 煙たがられ 「迷惑植物」として公的に指定されていたりもします。
伝統的には この木 ある国では魔よけ。 またはその逆で 花を除く全草微量青酸毒だからか キリストの弟子ユダが首をくくったのがこの木だからか (ちなみに木質はとてもゆるくすぐ折れるので 首をくくっても失敗しちゃうんじゃないかと 思うんですが・・・) ある国では 不吉な植物だったりするらしい。 何しろ ものすごく古くから人間の文化に深く関わってきた このエルダー。 その 要因は やはり その花から いとも簡単に発泡酒ができちゃうから じゃないでしょうか。 (いつもながら強引な展開・・・)
なんだか 私 お酒ばっかり作っているみたいですが それは気のせいです。
さて このエルダー 春になると レースフラワーをごっつくしたような 花が咲きます。 よく マスカットのような香りの花と言われますが ナマの花をそのまま嗅いでも キュウリを粉っぽくしたような臭いにしか私には感じられません。
エルダーフラワーが咲き始めましたら まず隣のドイツ人宅に行って 「レモンちょーだい」と 物乞いをします。 ドイツ人 農薬嫌いですから このレモン とても安全。
そうしましたら 天気の良い昼間を選んで 良く開いてはいるけれど 開花してから間もないエルダーの花を収穫します。 大きい花序(直径20センチくらい)のを7~8個。 そして よく振る。 シェイク シェイク。
すると 粉ダニのようなのとか 小さい甲虫とかが ヒエ~というくらい出ます。 ま これくらいでいっか~ くらい振りましたら 準備OK。 まちがっても殺虫剤なんかスプレーしてはいけません。
さて そこで 取り出だしたる大きめのホーロー鍋。 その中で 2リットルの熱湯に砂糖350グラムを溶かし、 そこに1リットルの冷水を加えて全部で3リットルの温い砂糖水を作ります。 人肌までさめたらそこに ドイツ人からもらったレモンの皮と絞り汁2個分を 投入。 ほろ苦さが欲しい時は 半個分をスライスして投入しても。
で おもむろに 先ほどテキトーに除虫いたしましたエルダーの花をお砂糖レモン水の中にバササッと 入れます。 レモンと出会って初めて エルダーフラワーからマスカットのような香りがしてきます。
きれいなお箸か何かで 花をしっかりと液体の中に水没させ ショウジョウバエが 入り込まないように 蓋をして そのまま24時間待ちます。 時々蓋を開けてはシャブシャブとかき混ぜると なおよろしい。
さて 24時間経過。 子供のおままごとのような この液体をさらし布を通して漉し(ここで水面にたゆたっていた粉ダニの残りなどが漉し取れるというわけです!) 白ワイン酢 大匙2を加え ペットボトルに入れて キャップをしめて はい おしまい。
1週間から10日後くらいから飲み始められます。
そ これだけなんです。 基本的にイーストを加えません。 花にくっついていた自然酵母で ウソのように湧く(発酵する)ので 2~3日に1度 キャップを用心しいしい緩めて ガス抜きをします。 これを怠って キャップがどうにも開かなくなり ボトルも立っていられないほどパンパカパン、 になったことがあります。 (結局 モンキースパナで キャップ緩めました・・・)
ただ 何かの加減で 待てど暮らせど発酵が始まらないこともあります。 そういう時はあわてず騒がず 各ペットボトルにつき 1つまみのイーストをパラパラして またキャップを閉めておきます。(私は ボトリングしてから 3~4日を見極め時にしています)
シャンペンという名前ですが 閉鎖発酵なので アルコール分はほとんどなく ちょっと濁って しかも少し粘度のある キリンレモン+αのようです。 同じ発泡酒でも おじさんのビールとちがって こちらは 淑女の飲み物と言った面持ち。 良く冷やして 初夏のピクニックに絶好です。
ただし 爆発物に近いほど内圧があがっていることが多く 開封前に グラスなど 前もって準備しておかないと もたもたしている間にドブブブブ~とボトルから溢れてしまうことうけあい。 レモンのお礼にと お隣へ持っていくときは Highly Explosiveの旨 ちゃんと伝えてから渡しています。
さて 実は日本にも 自然酵母を利用した「松葉サイダー」なるものがあるのだと 前に一度読んだことがあります。 一升瓶に若い松葉をぎっしり詰めて 砂糖水を入れて蓋をしておくと さわやかなサイダーになるのだそう。 これ エルダー・フラワー・シャンペンと全く同じ 微アルコール発泡飲料ですね。
チクチクしていたり フワフワしていたり ザラザラしていたり デコボコしていたりする 花や葉には 大抵 自然酵母がくっついています。 もしかしたら 赤つめ草や ラベンダー タンポポ 八重桜 はたまた キンモクセイなんか 可能性を秘めているんじゃないか? 最初から閉鎖発酵じゃなくて 途中まで開放発酵させたらどうだろう? 色々想像力を刺激して止まない 自然酵母を使ったシャンペン作り なのであります。
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かれこれ もう20年以上も昔 大学の英語のクラスで 『Dandelion Wine』 by Ray Bradburyを読みなさいという課題が出ました。
「グエ~ ホント こんな 分厚いの 英語で読まなきゃいけないんですかぁ」と お腹のあたりをすっぱくしつつ 洋書を購入。
その日の内に 町の本屋で 晶文社刊 邦訳版『たんぽぽのお酒』もゲットし 一安心したのも束の間 原書はもちろん 邦訳を読んでも む~ん む~ん・・・ ぜんぜんピンとこない・・・。
言葉がわかっても内容も分るとは限らない という認知科学的実験に再度成功したのでありましたが、 それにしても 「タンポポでどうやってお酒 作るんだろう」と これは猛烈にひっかかりました。 私にとって ここがもう作品のメイン であった訳です。
毎度ながら 季節が逆なニュージーランド ただ今 春真っ盛りでございます。 照ったり 降ったり 降りながら照る。 風もあっちからビュービュー こっちからゴーゴー。 すると ナチュラルテイストと申しましょうか ちょっぴりワイルドと申しましょうか ご近所でも顰蹙・・・いやいや 評判のそんな我が庭には タンポポがドドーッと咲きます。
タンポポ、 種も蒔いてないのに 律儀に毎年バンバン咲くし 可愛いし ミツバチも嬉しそうだし いざとなったら食べられるところなんかも とても 気が利いていて 私は好きなんですが・・・ 綿毛をブンブン飛ばしてしまうのは やっぱり 芝生文化圏のここでは 罪な気分なんですね。 花の間に使っちゃえば良いんだよねぇ と 思いながらも 生食は限度があるし・・・。 やっぱりあれか! 20数年前の仇をとるか! と 思っていた そんな折も折 プライベート図書館員さん(夫です)がこんな本を借りてきてくれました。
さて 忘れ去られた もしくは 忘れ去られそうなレシピが 分厚い本にびっしり。 そこにやっぱりありました。 タンポポのお酒。
ブラッドベリ自身の少年時代のオマージュ的作品である「たんぽぽのお酒」。
ブラッドベリが生まれたのが1920年。 作品中の少年は12歳。 ということは年代的には 1930年くらいの話なはずですが すでに 「たんぽぽのお酒」は おじいちゃんが作った なんだか素敵で そして不思議な飲み物 として描かれていた(はず)。
そうか・・・ そうだったら もう「忘れ去られた」というところに入ってしまっても 不思議はない飲み物なんだろうなぁ。
こういう非常に趣味的なものは 作り手がいなくなれば なくなっちゃうんですよね。
さて レシピがあるんだったらと ネット検索したり Home Wine Making の本を借りてきたりして 暫し情報収集。
で ぴっかぴかに晴れた真昼間を狙って ミツバチを蹴散らしながら 力いっぱい タンポポの花を収穫しました。
って 力いっぱいやっても ガク付きで350グラム。 ここから 花びらだけをガクからはずす作業。 幸いこういう単純作業に向いている人が他に約2名(娘達)いるので 女だけで井戸端花びらむしり大会。
収穫できた花びら300グラム。
を ホーロー鍋にいれて やおら熱湯を2リットル。 蓋をして2日間寝かせる。 2日経ったら 鍋を火にかけ 沸騰直前で火を弱め 無農薬のオレンジの皮をおろしたもの 2個分投入 さらに10分間 弱火のまま加熱。
火からおろし 量っておいたグラニュー糖(NZには酒税法ありませんので800グラム)の上に さらし布を通して濾し入れ 砂糖を全部溶かす。
人肌まで冷めたところで オレンジの絞り汁2個分と イースト(私はAll Purpose Wine Yeast)を小さじ1/2を加え 発酵用容器の中に液体注入。 エアロックをして 発酵が治まるまで2ヶ月ほど待ち あとは 澱(おり)引きしてボトリング。
そこから半年くらい寝かせ 冬場、 北半球だったら丁度クリスマスが 飲み頃なんだとか。
さて 今の私のタンポポのお酒。 発酵開始から1ヵ月半経った状態で そろそろ1回目の澱引きしようかな~ という感じです。
で 昨晩 おもむろに比重計を取り出し 測ってみたら・・・ 1.000(つまり水の比重です)を割っている。 しまった アルコールに傾きすぎた!(ちなみにアルコールの比重は0.8) おやおや それではちょっとお毒見。
辛口・・・。 お腹がボっとなるけど お味は 結構イケてる?みたい
とりあえず これはこれとして 澱引きしてみます。最終的なボトリングはもう1回澱引きしてからでしょうか。
こうやって 春になったらタンポポのお酒を仕込む というのを繰り返したら 私の子供達 春になったらタンポポを山盛り摘むのだ と 後にこれを伝えていくようになるでしょうか。 そして タンポポなんかを安心して使える そんな環境に住んでいられるでしょうか。
お金の世界にそぐわないばかりに その存続が危ぶまれる こういうのんびりした文化を伝え、 そしてシンプルなだけにデリケートな この文化を支える環境を さまざまな「汚染」と「忘却」から守るのも 私達世代の務めなのかもしれないな と ちょっと思います。
ニュージーランドに移民し 何の規制もなく ワインやビールを作るに付け、 それにつけても 日本の そう日本だけの酒税法が のどの奥に引っかかった魚の骨のように 私の日本人としての魂をチクチクと刺激してやみません。
明治32年から今日に至るまで その長きにわたる規制によって その結果 日本人がワイン作りを むりやり忘れさせられてしまったことに 怒りと悲しみを覚えます。 それ以前は ドブロク作り以外に 季節季節に出来る果物や花を使った その家 その土地独特のお酒作りがあったはずだと思うのです。 これこそが 本当のForgotten Skills for Cookingであり そして もう取り戻せない「日本人の心の一片」 かけがえのないものだったんではないでしょうか。
あ、そうそう 酒税法のお蔭でまた大事なことを忘れてしまうところでした。 ブラッドベリの「たんぽぽのお酒」ただ今映画製作中なんだそうです。 映画だったら 共感できるかなぁ と ちょっと期待。
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「スポーツ観戦」から 自らを隔絶して 早、幾年。 オリンピックに ワールド・カップ、 世界陸上。 いつも 気が付けば 大きなスポーツイベントは 華々しく閉会しており どこで開催されたかすら知らなかったりする というバチ当たりなことが ままあります。
「興味がないということもない」ラグビーにしたって 私の記憶は 松尾 大八木 洞口の雄姿を最後に NZに住んでいるにもかかわらず ラグビーのラの字もない生活。
こんな私でも 今年はちょいと違います。 もう いたるところ ラグビー・ワールド・カップ一色ですから。 いつもの地味~な主婦の生活にまで ジワジワと ワールド・カップが侵食してくるのです。
先ず 今年は 学期の長さからして 変則的。 1-2学期を11週間にして 3学期目の今 学期の終了日を いつもより2週間後方にずれ込ませ 10月8日から23日までベスト8および決勝戦の間は 見事に ばっちり春休み。
これで 国民一丸となって 心置きなく ワールド・カップに集中! いつもは7時に寝かされてしまう子も 試合のある日は夜10時まで夜更かしOK! 春休みのイベントが 大都市まで飛んでいってラグビー観戦という 用意周到なご家族もあるでしょう。
クリスマス前の超多忙な4学期は8週間しかなくなっても もういい! ワールド・カップのためだもん! という キウイの捨て身の心意気。
そして開幕1週間前に なんとオール・ブラックスの選手の Ali Williams(202cm 112kg 巨大!)と Ben Franks(183cm 117kg ごつい!)が 我が町 モトゥエカに来訪! という超ビッグ・イベントがありました。
彼らは いくつもの幼稚園 小学校を ヘリコプターで飛び歩き、 地元高校の熱血ラガーボーイズを引き連れて 目抜き通りを練り歩いた後 我が家から徒歩3分のグラウンドに登場。
娘達の通う小学校の全校生徒が 白黒の服を着て 熱烈歓迎! 一緒にエアロビしたり 遊んでくれたりして またヘリコプターで颯爽と帰っていったのです。
巨大でごついのに むさくるしくないその姿は 磨き上げられたお相撲さんのように輝いて見えました。
さあ 本物見ちゃって 我が家も一気に発熱。 ウチのお父さんたら 子供達全員に シダの刺繍の入った白黒ポロと 私にまで 黒いTシャツを買ってきてくれて これで準備はオッケーか。 あ ビール買っとかなくちゃね。 ちょっと良いビールを奮発しよう。
そして 開幕日の9月9日。 色めきたった町中は 黒一色。 行きかう車には 族仕様のような 黒い旗がはためき 何となく大通りの挙動がいつもと違う キリキリとした感じ。 ウチでは 今晩に備え 子供達全員が問答無用でお昼寝をさせられ、 そして訪れた奥様の静かな午後のひととき。 のはずが・・・
たいへん たいへん 大変だわ! お寿司巻かなくちゃ!
さて お風呂も済ませて 一家揃って 白黒で正装。 5合分の太巻きもお皿に高々と積み上がり、 テレビ スイッチオン! わ~ ウチのテレビって ラグビー映るんだ~ と 新発見。
息を呑む 感涙もののオープニング・セレモニーの後 とうとう オール・ブラックス 対 トンガ戦、 選手入場。 ドスドスドス。
わ~ AliとBenってレギュラーなんだ~(すごく失礼・・・>私)
我が家も揃ってテレビの前に整列。 NZ国歌斉唱 1番 マオリ語、 2番 英語。
カマテ カマテ! カオラ カオラ! マオリハカも 選手と一緒に一家全員でやっちゃいます。 さて 試合開始だ。やれやれやれ~。
と 息つく間もなく
終了は夜10時。 お寿司はほぼ完食、親子ともども ぐったり疲れて 「次のオール・ブラックス 対 日本戦は 来週の金曜日放送です」
あ~ 良かった。 これが 毎日だったら 身がもたないわ・・・
<本文と同ウエイトのおまけ>
今は 季節の変わり目。 小学校では 嘔吐下痢やら 咳のひどいインフルエンザやらが大流行しているというのに。 こんな大きな試合の前に よく 選手達が来てくれたな と オール・ブラックスの第1試合を見終わって 改めて感心しました。
「All Blacks Coming to a Town Near You」(不肖ながら和訳致しますれば「オール・ブラックスがやってくる!」)は 選りすぐりの大きな田舎町11箇所 Kaeo, Te Puke, Gisborne, Stratford, Waipukurau, Carterton, Motueka, Hokitika, Rangiora, Cromwell, Wintonに 選手が2-3人ずつ訪問した 国内のワールド・カップ熱をますます盛り上げるための ファンデー・イベント。 (だれがどこに行ったかを知りたいエンスーな方は こちらをどうぞ)
◎no8.co.nz「All Blacks Coming to a Town Near You」
そういえば 大きな街は どこかの国のホスト・シティになっているから 随分まえから ゲスト国にあわせたイベントやらなんやらをやっているのです。 ちなみにネルソン市は 気候的にも相性のすごく良いイタリアのホスト・シティ。 ネルソンの図書館員(つまり市の職員)であるRyuも 「Host City Nelson, Rugby World Cup」と書かれた 緑色のTシャツを 黒の長袖Tシャツの上に重ね着して ごきげんよく出勤しています。
それもあっての Town訪問だったんでしょう。 それに 人口の少ない国ですから 今ラグビーをやっている子たちがまさに将来のオール・ブラックス予備軍なんです。 今回 モトゥエカを訪問してくれた Ben Franksなんて まさに地元産の選手なんだそう。
NZで 子供にやらせるスポーツとして 危険なラグビーがママたちから敬遠され、 サッカーが一番人気になって10年以上が経ちます。 ラグビーが国技のNZにとって これは由々しき状況ですが 今回のような 心憎いタイミングの 子供達を明日の宝として大切にする 地道で誠実なプロモーション活動がある限り オール・ブラックスは強いんだろうな と 思いました。
さて 明日9月16日 そのオール・ブラックスが対戦するのが 我が祖国日本チーム。
チームマークが桜の花をデザインしたもので 通称「桜軍団」。 ああ かの不朽の名作「1・2の三四郎」(小林まこと作 講談社コミックス)の桜五郎の桜軍団にかけたのね と 思ったのは 私だけではありますまい。(私だけか?)
これが 桜ラグビーの公式サイトです。
そもそもキウイの助っ人も多い上 日本人選手はニュージーランドにラグビー留学した経験のある人も多く、ニュージーランドに縁の深い日本チーム。 彼らは クライストチャーチの震災の時 大きい体に募金箱をぶら下げて 非常に積極的に募金活動してくれたんです。
そして 桜ラグビーではありませんが ラグビー選手のすごさを見せてくれた 「津波にのまれながら市民救う 元釜石SWの森さん」
◎岩手日報「津波にのまれながら市民救う 元釜石SWの森さん」
いつものように ものすごい偏見ですが 助っ人も含む日本ラグビーの魅力とは 汗臭い モテ(そうに)ない むさくるしい身体に宿る 心根の潔さ 優しさ 清さ なんじゃないでしょうか。
三四郎 ちゃんと読んで 明日 「ウッシャー」 と がんばってください。 ドキドキしながら応援しています。
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コレステ様の 再検査の結果が出ました。。。
ニュージーランドの検査結果は mmol/L単位で表示されます。 SI単位というこれは いかにも謎。 これでは 「ためしてがってん」制定 ジャパニーズ正常値に照合できないのでございます。
ということで 見つけたのが The Nephron Information Centerの 換算表。
◎The Nephron Information Center
あら、便利。
はじめはやはり コレステ様の 血糖値。 ポチっと換算 102.6mg/dl。
これは 正常高値と云われる 100mg/dl~110mg/dl未満の範囲内。 ああ、 良かった・・・。 本日のところは 大目に見て差し上げましょう。
そして 注目のコレステロールでございます。
コレステロールには まるでお代官のように 善玉と 悪玉がいるのだ というのは 訊いておりましたが 最近は 悪を善で割るのが流行っているのだそう。 「がってん」では 2.3以下が望ましいとのこと。 これなら 先ずは 換算表なしで・・・
4.35!!!
奥は 大げさじゃのう。 まだまだ 「あべし!!」レベルじゃ。
でも 検査結果に書かれておりまする
"5 year Cardiovascular Disease Risk > 15% "
と 申しますのは
「お前は もう 5年後には 死んでいる! かも?」
が 15% と そういうことなのでは ございませぬか!
これで コレステ様が ご昼食に 「カツどん」「うにイクラ丼」「あぶらそば」と 行列のできるお店を 蝶のように飛び回り 美食遊ばしていらっしゃれば 原因は明々白々なのでございます・・・。
しかしながら コレステ様のお昼は 毎日 昨晩の残り物が詰まった愛妻弁当。 さすれば 全食 奥方様の管理の元なのでございます。
「私が 悪ぅございましたぁぁぁ。」・・・ 奈落へ落ちかけた 奥方様にふと わいた素朴な疑問
「では 同じものを食べている 私の コレステロールは いかがなものなのでしょうか?」。
そこで 奥方様 さくっと 行ってまいりました 血液検査。 結果は 悪玉/善玉が2.23。 血糖値は 95.4mg/dl。 どちらも クリア。 ただ 悪玉だけを取り出すと 131.44mg/dlと 境界域(120-139mg/dl)。 ここが 惜しい点でございましょうか(善玉値も高かったので 悪玉善玉比が2.3以下となりました)。
そうなのです、 コレステ様は コレステな運命(ここは是非「さだめ」と お読みくださいませ)に生まれちゃった殿方なのでございます。。。
ちなみに コレステ様の血圧は 110/72ですが BMI(肥満度)が 25。
(BMI値が簡単に分る親切な「からだにe-サイト」"Health クリック"のBMI計算ツール お薦めです。)
BMIチェックによると 理想的には あと7キロ減量なのだそう。
奥方様も 3キロ減量すると BMI値が素敵な値に。
「とりあえず お食事に気をつけながら 共にダイエットで ございますね」 と 目をキラキラ輝かせる 点取り虫の 奥方様でございました。
再々検査まで あと3ヶ月。 この結果で コレステ様に投薬するかどうかが決まるのでございますが。。。
「コレステ様 再々検査とやらは どうなさったのでございます?」
「経費削減だからかのぅ とんと そんな話は聞かなんだ。」
と お茶を濁され さっくりと早2年。 その間 高橋家のテレビは ワイド画面へと変貌をとげ 映し出されるは 太ったアンパンマン、 太ったトーマス。 それがいつの間にやら「ふつう」に思えるようになった頃 ふと奥方様はその眉根をお寄せになったのでございます。
ハテ そう云えば 画面の外と申すに コレステ様まで ワイド・・・?!。
さて 秋も深まるある日のこと。 いつもの朝の些事を終え パソコンの前に落ち着いた奥方様の モーニングティのお時間。 コレステ様へ
「カプチーノ なう」・・・ポチ。
すると 数分後 「高血糖 なう。 ワシゃ糖尿病かいな?」
あ~れ~ そんな「なう」いやで ござります~~~!
その日は お勤め先にナース出張があり 指先をプチっとする簡易検査があったのだそう。
さっそく 再検査の予約をし、 そして その前夜。
血糖値・コレステロール値検査のためでございますから 夜の9時から翌朝の採血までは断食、 飲んで良いのはお水だけ。 ああ 無常。
夕餉が終わり お子達も片付き、、、 コレステ様 後はご就寝のみと 相成りましたのが 8時45分。
コレステ様の辞書に 摂生の二文字は ないのか・・・?!
]]>心の許容範囲を遙かに凌駕する 東日本の悲報。 あまりのことに 涙が凍ってしまったかのように流れて来ない。 その代わりに 悲嘆という 冷たく重い石が日を追うごとに大きくなって 心に圧し掛かるのを感じました。
折り鶴を折って 募金活動をする という方法があるよと 3月17日 友人から連絡がありました。 自分達で折った折り鶴を (赤い羽根募金の羽根のように)募金者に差し上げる という募金活動。 海外に住む日本人を中心に 全世界で急激に広がっている 東日本大震災に対する 募金のスタイルです。
日本国内で 「募金ありがとうございます」と 折り鶴をもらっても 困ってしまうかもしれませんが ニュージーランドのキウイ達は きっと喜んで受け取ってくれるでしょう。
早速 モトェウカ周辺にパラパラと住む日本人の友人達に話をまわし 「じゃ 日曜日のモトゥエカのフリーマーケットでやりましょう!」。
そう 東日本と そして2月22日の震災の傷も生々しいクライストチャーチ 両方の被災地に向けて。
マーケットの場所の確保 赤十字の募金バケツの確保 バナー(垂れ幕)作り などなど 募金屋台の出店準備を進めつつ 隙をみて 鶴をバンバン折り始めました。
10個 30個 60個 折り進むうちに 心に重くのしかかっていた 悲しみの石が 少しずつ軽くなっていきます。 テレビの報道に「見届けなくては!」と かじり付き、 その度に無力感に打ちひしがれてへたり込んでいたのとは 全く逆の感覚。 テレビを消して 折り 祈る 夜の静寂。
さて 何とか体裁を整え 天気にも恵まれ 3月20日 こんな屋台になりました。
「がんばれ!」という意味にぴったりくる英語の表現ってなかなか見つけられませんが マオリ語にはあるんですね。"Kia Kaha!"(キア カハ!)。 「キア・カハ! クライストチャーチ」が すでに 標語になっているNZなので ジャパンもキア・カハに。
募金をしてくださった皆さんに 「ありがとうございます。 鶴をお持ちください。 祈りのシンボルです」と 手渡すと 涙ぐんでしまう方も。
キャンギャル・メイちゃんも張り切っています。思いっきり地元なので メイの小学校のお友達も立ち寄ってくれて 屋台の一部は 子供達の折り紙体験ゾーンになりました。
そんなことをしていたら 隣の屋台でパンダ帽子を売っていた 中国からのワーホリさん ペニーちゃんが「私にも教えて!」
ペニーちゃん どんどん上手になって フリマが終わるころには きれいな折り鶴を何羽も寄付してくれました。 精巧な手作りカードを売っている 台湾人のおじさんも 「こんな仕事してるからネ お安いごようヨ」と怒涛の折り鶴作成協力。
その日の 赤十字募金バケツには 東日本へNZ$651.60、クライストチャーチへNZ$151.90が寄せられました。
翌週 火曜日には 拙文の寄稿先e4MEDIAの運営会社 ㈱ゴーフィールドより 4.4キロ分!の折り紙が ぎっちりつまった 国際便が。 サポートどうもありがとうございます!
私達 モトゥエカ近在の日本人による 折り紙募金、 古着を売ったり 巻き寿司を売ったりを交えながら 屋台に立ち寄ってくださる全ての方に折り鶴を配り 先ずは1000羽 配り終えるまで続けたいね、 ゆっくりね ぼちぼちね と 話しています。
募金を頂いたり 折り鶴作りを手伝っていただいたり そして折り紙を送っていただいたり。 被災地に心を寄せる人々が それぞれ 色んな方向から活動に参加できる 折り鶴募金。 悲しい顔に微笑みをよみがえらせる そんな力が 折り鶴の 完璧なまでに美しいフォルムにはあると 思いました。
A magnitude 6.3 earthquake hit 10km south-east of Christchurch CBD at 12:51, February 22, 2011. Massive number of buildings collapsed including the city icon Christchurch Cathedral Steeple, and so many people were dead, injured, trapped and lost their properties.
Watching the rescue operations in utterly changed Garden City on TV, I live at my home about 300km away from there, packing lunch for children, doing the laundry, weeding and watering the garden, laughing at my hubbie's jokes and cooking meals for my family, everything is normal here. It's unbelievable that the both scenes exist here in this New Zealand South Island right now, and it crushes my spirit out, sometimes it's hard to keep back my tears.
I was worried about a person, who was my old colleague in Japan.
At the beginning of January, a friend of mine in Japan told me that Tonton would make a business trip to Christchurch in mid Feb. I advised Tonton that they still had aftershocks almost everyday in Christchurch since last September and she had to be very careful. She replied to me that she didn't even know about the quake in September and appreciated the info.
Oh, no, can't be... She was there MID Feb, so she might have already been back to Japan, hopefully.
But on the following day of the quake, I got an email from her, saying,
"It was my day one of the business yesterday and encountered the disaster. I'm fine but an evacuee."
"I stay with a very nice host family about half an hour drive from the city centre, so please don't worry."
I asked her if she'd got her passport, wallet etc and we exchanged some emails, and I found out how her host family was nice and kind to her.
This was her first visit to New Zealand, and was meant to be a very short business trip for the sales promotion of books and magazines at the conference of some kind, so she shouldn't have been doing the home stay or something like that. Therefore "a nice and kind host family" meant nothing other than a volunteer host family to accept evacuees, I guessed. So I asked her to let me know the whole story.
She was working at the exhibition stall for the medical conference in the Convention Centre by the Town Hall when the quake hit. Everyone evacuated from the building after the first shock (@13:00).
She waited for about an hour with a hope of coming back into the building again but found that it was not a good idea and started to move to southwest looking for a safer place (@14:00). Stayed in the park in front of the hotel "Chateau Blanc Suites" for an hour and had some big aftershocks (@15:00).
When the aftershocks seemed to settle down, she tried to go back to the hotel she stayed near the Cathedral, but the road to the city centre was already completely blocked. Unfortunately she left her passport and some valuables in there. She wandered around for an hour looking for the way to the hotel, in vain (@16:00).
Then she was told to go to the Welfare Centre in Hagley Park.
She arrived at Hagley Park Welfare Centre at 17:00. Salvation Army provided old clothes and a big black plastic bag (it was quite windy and cold) and had a rest on a bench and a plywood outside. It started raining and got dark, so she came inside (presumebly of the big tent for the Flower Show) and NZ Red Cross registered her in the evacuee list (@22:00).
It took about 9 hours to get registered since the quake. TV news said there were about 2,000 people stayed over night at Hagley Park. Tonton was one of them.
Meal was provided. She had room only enough to lie down. She stayed there for a while with some other Japanese people she met there at the Welfare Centre. Suddenly a gentleman and his daughter came across to them and offered "We can take care of 11 people at our place".
They were not the only one but Tonton saw many other people coming to the Centre and taking evacuees to their own homes. They were pure volunteers.
Wow, taking 11 foreigners (or even total strangers) who might not even understand English..., that's brave.
I guess they came with 2 cars, one would be a mini van or something with seating capascity of 8 and another would be a normal car with capacity of 5, and took as many evacuees as they could carry.
Tonton jumped on their car with 5 other Japanese and 5 backpackers (nationality unknown) after midnight.
They were a family of 5, parents and 3 children, living in Rangiora. Elderest daughter in high teens was the one who had come to the Centre with her father, and there were 2 other little ones, 4 & 5 year-old.
This voluntary host family bought necessities for 11 evacuees, provided clothes and did the laundry for them, let them take a shower, offered NZ traditional meals, took them out for lunch, rent DVDs for them, let them use their own PC, contacted with their original host family if they had, arranged the air tickets for them, dropped off them at the airport etc...
They kept assuring them "No worries, mate. Let us know anything we could help. You can stay here until you are ready to move on."
Tonton is supposed to fly to Auckland today (26/02/2011), get a temporary passport from the Japanese Consular Office and leave to Japan. She must have cried saying thank you millions times to the host family.
It was so depressing to see the power of the nature which had ripped off the beauty of Christchurch and grabbed away lots of life, and I realized how feeble we were. However the disaster created such incredibly kind and warm host families as well as the destruction.
This story reminds me how beautiful and great people's soul is. The real treasure of Christchurch is shining even more right now during this difficult time.
Today it was annouced that a third of the buildings in CBD and a forth of them in the city had to be demolished. Christchurch has about 10% of population of whole NZ's, which is an equivalent rate to Tokyo's to Japan. Can you imagine how much damage New Zealand got from this disaster?
However, thousands of Kiwi volunteers are helping out people in trouble, possibly travelers from your country, with friendly smiles on their faces.
I'd like to ask you to support these lovely Kiwis by donations. Thank you very much in advance.
And thank you for your report during your hard time, Tonton.
【Links to Donation Sites】
◎The Salvation Army New Zealand
◎Donations and Information for Christchurch Earthquake Appeal
]]>2月22日午後12時51分 ニュージーランド第3の都市 クライストチャーチ中心部にマグニチュード6.3の直下型地震が発生。 街のシンボルである 大聖堂をはじめ 多くの建物が倒壊し 国籍 性別 年齢の隔てなく たくさんの人たちが瓦礫の下に飲み込まれました。
テレビに映る ガーデンシティ・クライストチャーチの変わり果てた姿と 必死の救助活動、 そこから約300キロ離れた我が家での 弁当を作り 子供たちの世話をし 洗濯を干し 雑草を抜き 水をまき 夫の冗談で笑い 食事を作る いつもの暮らしの風景。 どちらも同じニュージーランド 南島での今なのだ という切なさに 時と場所を選ばず 涙がこみ上げてくるのを 何とかこらえるここ数日です。
この悲報を耳にしてから 私には一人 「まさか 巻き込まれてないでしょうね・・・」と 頭に引っかかる元同僚がいました。
「とんとんが 2月の中旬 クライストチャーチで仕事だって」と 人づてで話を聞いたのが 年明け早々。
「チャーチは 9月に大地震があって以来 まだゆらゆらしてるから 地震情報をチェックして」との返信に
「地震があったなんて知りませんでした。気をつけます」と 彼女本人からのメール。
まさか、まさか。 でも 2月中旬と言っていたし とんとんは きっと大丈夫だったんだろう と思っていたら 大地震の翌日
「仕事の初日に被災し 怪我などはありませんが 今は避難民です;;」
そして続けて
「でも 街中から車で30分くらいのところにある とても親切なホストファミリーの家にいるので 安心してください」
その後の 何通かの「パスポートはある?」「お財布は?」のベーシックなやり取りをしていると 彼女からのメールから ホストファミリーがどれだけ親身になって世話をしてくれているかが 漏れ聞こえてくるのです。
とんとんが ニュージーランドに来たのはこれが初めて。 今回も 洋書洋雑誌を 学会で拡販するための 超短期ビジネス滞在。 もちろんホームスティのはずはないので 「親切なホストファミリー」とは 被災後に彼女が身を寄せた先のことらしい。 そこで彼女に 被災してから ホームスティするまでの経緯を話してもらいました。
彼女の被災場所は タウンホール隣りのコンベンションセンター内。医学学会に出展したブースでの出来事でした。地震の第1波が収まった後 センターにいた全員が 屋外へ避難(現地時間13時)。
被害状況が把握できないまま コンベンションセンター内に戻れる可能性もあるのかも と 1時間ほど 待機していると だんだんそれどころではないことが分ってきたところで(14時) もっと安全そうな避難場所を探し 西南方向へ移動。 ひとまずシャトー・ブラン・スイート(アーマー・ストリートのホテル)前の公園へ。そこで 激しい余震のなか たたずむこと 1時間(15時)。
酷い余震が治まってきた頃合を見計らい 彼女は とりあえず大聖堂近くのホテルに帰ろうとするも すでに大聖堂 つまり東の中心街に向かう道路は完全に封鎖されていて 行きようがない。悲しいかな 彼女のパスポートは貴重品とともにホテルの中。 なんとか通れる道がないか探すこと1時間(16時)。
そこで ハグレー公園の収容避難場所(避難キャンプ)へ 向かうよう指示を受ける。
ハグレー公園避難キャンプ到着(17時)。 まず 救世軍から 防寒(風もあり体感温度はかなり低かった)用の古着と黒い大きなビニール袋が支給され 野外のベンチやベニヤ板の上で休む。その内 雨が降り出し 日も暮れ ハグレー公園内の建物(たぶんフラワーショー用の巨大テント)に入り NZ赤十字による避難民登録を終えたのが 22時。
地震が起きたのが13時ちょっと前だったので 登録が済むまでに9時間。夕方ごろに報道されていたハグレー公園の避難民の数は 3000人。 そして その後だいぶ減って夜明かし組が およそ2000人。とんとんも その中の一人でした。
食事の支給を受け 避難所で知り合った日本人同士で身を寄せ合い 人1人が横たわれるギリギリのスペースで休んでいたそのとき 「家は11人までだったらお世話できるよ」と ホストファーザーとそのハイティーンのお嬢さんが話しかけてきてくださったのだそうです。
とんとんは 他にも「ボランティア・ホストファミリー」としか呼びようのない 被害を免れた近在の一般家庭の有志の方が 自家用車で避難所に駆けつけ、 まったく見ず知らずの避難民を分け隔てなく収容していったのを たくさん目撃したそうです。
自宅に 言葉も通じないかもしれない多国籍避難民を11人。。。
たぶん お父さんとお嬢さん車2台でいらしたんでしょう。きっと 1台は8人乗りのバンで もう1台は5人乗りのセダン。車にめいっぱい乗せられるだけ 困っている人を助けようとオファーしてくれたに違いありません。
とんとんが 他の5人の日本人と 近くにいた5人のバックパッカーたちと供にホストファミリーの車に乗せてもらったのが 真夜中すぎだったといいます。
ランギオラというエリアに住む この親切なご家族は 前述のお父さんと お嬢さん そして 奥さんと 5歳と4歳の子供達の 5人家族。
このボランティア・ホストファミリーは 11人の被災者達のために 生活必需品を買い 洋服を着替えさせ その間に彼らの服を洗濯し NZの伝統料理をふるまい 昼食を食べに外に連れて行き DVDをレンタルし 自宅のPCを開放し そして 航空券の手配をし 空港まで送り届け 元のホストファミリーがいる人にはそのファミリーとのコンタクトと取り やはり車で送り届け。。。
そして常に「大丈夫よ、安心して。動ける目処が付くまで いつまでいてくれてもいいのよ」という 励ましの言葉を かけ続けてくれたのだそうです。
とんとんは 本日26日 オークランドに移動し 在ニュージーランド領事館より仮パスポートを受け その後日本に帰国します。ホストファミリーとお別れするとき きっと何百万回もありがとうを言って 泣いちゃってることでしょう。
大聖堂の尖塔をもぎ取り 多くの命を奪ったクライストチャーチ大地震を前に 人間の営みというのは 自然の力の前ではなんてもろく小さいものなんだろうと感じ 打ちひしがれました。 しかし 大地震は破壊と同時に こんな親切で暖かいボランティア・ホストファミリーを たくさん生み出してもいたのです。
ああ、 やっぱり人間の営みって 美しいじゃあないか!
クライストチャーチの本当の美しさは 今一段と輝いているように思えます。
本日 中心街の3割の建物 そして 町全体の4分の1の建物は取り壊さなくてはならない との発表がありました。 クライストチャーチは ニュージーランド全人口の1割が住む都市です。 日本に置き換えれば この人口比は まさに東京。 このたびの災害で ニュージーランドが受けた打撃の大きさを イメージしていただけるでしょうか。 でも 今日も何千・何万ものキウイ・ボランティアたちが 人懐っこい笑みをうかべながら 見ず知らずの困り果てた人たちを地道に助けています。
この 心優しいキウイを支えるためにも どうぞ救援金のご協力を 心よりお願いいたします。
そして とんとん 大変な中 話を聞かせてくれて 本当にどうもありがとう。
【救援金サイトへのリンク】
]]>昨日は、午後から虎ノ門にある金刀比羅さまの東京分社にお参りに行ってきた。
虎ノ門から新橋界隈は、もう20年以上も前からよく訪れているところだが、虎ノ門交差点のすぐそばに金刀比羅さまがあることをつい最近まで知らなかった。
その名も「虎ノ門琴平タワー」という高層ビルの隣にコンクリート製の大きな鳥居があり、その奥に銅葺き屋根の風格ある社が鎮座している。江戸時代初期に丸亀藩主の京極高和が三田藩邸内に地元の金刀比羅宮を分霊した後、京極高豊の代に江戸城の裏鬼門にあたる虎ノ門に移された。
例年なら、茨城の実家に帰省していれば大洗の磯前神社に初詣に行くのが習わしだが、今年は帰省を直前に取りやめたのは、前回のエントリーで書いた。考えてみれば、帰省していたら4日に金刀比羅参りするのは叶わなかったので、あるいは金刀比羅さまに足止めされたと言えるかもしれない。
4日は、昨年末に高松で立ち上がった「(株)風向」の面々が本場の金刀比羅さまに総出でお参りに行った。それとタイミングを合わせて、四国まで足を運べなかったぼくは東京の分社にお参りしたというわけだ。
四国丸亀に鎮座する金刀比羅宮は、海運の神様として知られる。元々は金毘羅と表記され、サンスクリットの「クンピーラ」を漢訳したもの。クンピーラはガンジス川に棲むワニが神格化したもので、薬師如来十二神将の一つ「宮毘羅大将」を指す。本来、水辺に潜み人に害を成すワニを祀ることで、逆に水難、海難避けとして、とくに漁師や海運業者に厚く信仰されてきた。
本家の金刀比羅宮も東京の分社も社は寺院建築風なのは、元々、神とも仏ともつかない神仏習合の信仰を今に伝えているせいだろう。
金刀比羅宮に祀られるのは大物主神。出雲の主祭神大国主神だ。これに、日本三大怨霊の一人、崇徳上皇が合祀されている。なにやら御霊信仰めいているが、東京分社に限っていえば、朝廷に仇を成した平将門と並んで崇徳上皇が江戸城の守護神とされたことは面白い。
それはともかく、わざわざ高松のメンバーとタイミングを合わせて金刀比羅宮にお参りしたのは、「風向」がこの春から高速クルーザーとカタマランヨットを保有して瀬戸内を舞台としたツアーを展開するので、関係者一同で安全祈願をするためだった。
ちょうど10年前、海育ちながらマリンスポーツととんと縁がなかったぼくがシーカヤックと出会ったのが瀬戸内だった。さらに昨年は無数に散らばる島を巡るアイランドホッピングの楽しみも瀬戸内で知った。そして、今年は、今まで想像したこともなかったクルーザーやヨットの世界へ足を踏み込むことになった。
]]>早朝、香川県東部のある入り江まで車で走り、まっ青な海に浮かぶカタマランに乗り込んだ。 ヨットという乗り物で、海を帆走する体験はこれが初めてだ。
海に浮かぶのはシーカヤックでは慣れているけれど、ヨットといえば風を受けて横倒しになるような状態で、船ベリに座って、体重をあずけるアクロバチックな乗物という印象がある。いくら安定性のいいカタマランとはいえ、その揺れはシーカヤックの比ではないだろうと想像していた。
早朝のために薬局にも寄れず、酔い止めを飲めなかったのが心配だった。
だが船に酔うというのはまったくの杞憂だとすぐにわかった。
天気が良く、瀬戸内海はいつにも増して凪いでいたということもあるが、横幅の広いカタマランは、見事に水平で安定していて、ローリングもほとんどしない。前方から爽やかな夏の風を受けて快調に進んでいく。
はじめ、前から風を受けながらどうして進めるのか疑問だったが、スキッパーを務める映画プロデューサーの中山氏の横で解説を聞くと、得心した。ヨットのセールは、断面を見ると飛行機の翼と同じ形をしていて、翼を縦において、飛行機なら揚力がかかるところを横向きの力に変え、キールで向き変えてやることで斜めに前進できるのだという。
原理を聞いて、船の動きを注視していると、確かにその通りに動いていることがわかる。単純に帆で風を孕んでいるだけでは前進できないが、風を横向きの揚力として利用すれば、風を切って進むことができる。
こうした合理的な理屈にはすこぶる弱い。初めて体験するヨットという乗物が、俄然身近に感じられ、興味が湧いてくる。
また、船影の多い瀬戸内海では、さぞや操船が難しいだろうと思ったら、ヨットが帆走しているときは『漂流物』の扱いとなり、周囲の船のほうが避ける義務があるのだという。 そして、操船にしても、GPSと連動したオートパイロットで、目的地を設定すれば船が勝手に向かってくれるので、スキッパーの仕事としては、前方に障害物を確認したときに避けるくらいで、それも舵を切るのではなく、オートパイロットに旋回角度を入力するだけで自動的に操舵される。
想像していたよりも快適な上、操船も簡単で、何より広大な水面を自由に移動できる感覚が、じつにノマディックでいい。
このヨットは、2年前にスタートしたe4プロジェクトの一環で、この夏から瀬戸内海の島々を繋いで運航する。シーカヤックやトレッキングツアーと組み合わせたり、ディナークルーズやパーティクルーズも行う予定で、さらにカタマランではないが、中型のヨットやクルーザーもラインナップに加えていくことになっている。
今年は瀬戸内に浮かぶ5つの島々を舞台に刺激的なアートの展示やイベントが行われる『瀬戸内国際芸術祭』が開催される。このイベントに合わせたツアーも行う予定だ。
**カタマランは、非常に安定していて、ほとんどローリングしないので、ヨット初体験でもまったく不安がない**
**操船はGPSと連動したオートクルーズ**
**高松入港を前に、沖合の女木島に立ち寄る。桟橋があれば横付けし、なければビーチからシットオンカヤックで上陸する。『道路』
という限られた「線」の上を移動するのではなく、海という広大な「面」を自由に移動できるこの感覚はノマド心をたまらなく刺激する**
]]>
文・写真 内田一成
高知から特産の生姜が届き、いろいろ応用出来るジンジャーシロップを作ることにした。
昨年の夏には梅をたくさんもらったので梅シロップを作ったが、季節の恵みはたっぷりと自然のエキスを詰め込んでいて、それを旬のうちに凝縮したシロップにすると、長い間、その効能と味を楽しめる。
梅シロップは暑い最中に飲めばスキッと涼しくしてくれるし、ジンジャーシロップはジンジャエールにして涼やかな気分が味わえるとともに、生姜湯にして風邪をひきはじめに吹き飛ばしてくれる。
自分の手で素材から加工すると、いかに市販の加工品が人工的に味付けされたものかがはっきりわかる。そして、人工の甘味や香料が不快に感じられるようになる。大量生産でいつも均質な味を保ち、劣化を押さえるためには仕方ないのもわかるが、そのために失ってしまったものが見えてくる。
困ってしまうのは、素材そのものも、そして、それを育てる土まで、手作りの欲求がどんどんエスカレートしてしまうことだが......。
**1kgの生姜を丁寧に洗い、たわしでこすって、余分な皮を落とす**
**薄くスライスして、同量のきび砂糖と漬け込むと1時間あまりでエキスがしみ出してくる**
**適度に煮詰まったところで火から下ろし、シロップを漉す**
**飴色の香り高いシロップが出来上がる。横の味噌のように見えるのは、残った生姜スライスをミキサーにかけてペーストにしたもの。これをパンにつけたり、ジンジャエールや生姜湯に溶かしてもいい**
**残った生姜スライスはザルに欲して、チップにする。このまま食べてもいい**
**さっそくジンジャエールを作ってみた。生姜スライスを先に入れ、シロップを注ぐ。これを炭酸水で10倍ほどに希釈する。自然な甘みに、喉への爽やかな刺激が効いて、とてもすっきりした味わいが楽しめる**
これから生姜は本格的な旬の季節。下ごしらえに少々手間がかかるが、まとめて作っておけばしばらく楽しめるのでお薦めだ。
]]>文&写真:リュウ・タカハシ
2010年2月25日
天の啓示でネイチャーフォトグラファーを目指す羽目になり、日々カメラを持って野外をうろつく拙者が偶然迷い込んでしまった洞窟は、異形の邪神が太古の昔から封印されている魔界への入り口だった......。
モトゥエカキーで朝日に染まる廃船を撮影して気分良く帰途についた拙者だったが、なんせ家まで1分そこそこ。まっすぐ帰るのもなんだかなぁと、寄り道の虫のさわぐままに家のそばの公園に車をとめた。
見慣れた木々も、早朝のオレンジ色の光を横から浴びてると、ずいぶんと違って見える。
だからといって、ぜんぜん良い写真にならないのが拙者のチャームポイント。いろいろ考えてからシャッターを切ったつもりだが、後から見直すとインパクトのない凡庸きわまりない写真。レタッチしてみるのも面倒だ。
これまた何をどう突っ込んで良いやら分からん、平凡な写真。せっかく赤、青、黄色三色揃ってるんだから、もうちっとなんとかならなかったものか。
こいつはちょっといじってみるとするか。
フォトショップで擬似的にブレを再現してみたら、ちょっと面白くなった。
現場でこれを思いついて、カメラを動かしながらスローシャッターを切って、こういう写真を撮れるようになれると良いのだが。あ、だめだ、拙者はまだND(減光)フィルターをもっておらぬ。早ぉ買わねばならぬの。
まぁよいわ、今回はこれくらいで勘弁してやろう。
ちょっとだけ進歩したのは、これらがダメダメ写真だってことがちゃんと現場で分かるようになったこと。威張るようなことではないが、家に帰ってPCでみてから「あっちゃー」となるよりは、まだましだ。
これじゃイカンと、方針変更。
カメラを下に向けて、広角レンズで落ち葉を。こうなるとちょっとは写真らしくなったような気がする。
が、やっぱり今ひとつパンチに欠ける。
同じ場所で、今度は地面に寝転んで超ローアングルから。
なるほど、これくらいやった方がメリハリがあっていいのかも。レタッチのときに、先ほどの写真よりも強めにコントラストをかけてみた。
でも遠景の芝生や樹が、なんか目障り。広角レンズのせいで樹が放射状に生えてるようにみえるのも、なんだか滑稽だ。
ならばこういうトリミングでどうだ?
悪くないような気がする。欲をいえばもうちょっとだけ被写界深度があって、一番手前のでっかい葉っぱと同じくらいインパクトのある被写体が画面下から三分の一あたりに主役としてドンと写っててくれると良かったんだが、もう後の祭り。
いまさらどうにもならないフレーミングはさておき、レタッチのときに画面奥の方の明るく光ってる部分の彩度を少し落として、手前をもうちょっと目立つようにした方がよかったかなぁ。このあたりのさじ加減が、まだまだどうもよく分からん。修行だ、修行。
もうちょっと違うことも試してみたかったんだけど、どんどん陽が高くなって光線が変わり、霜もあっという間に溶けてしまったので、あれこれ試している暇がなかった。これもまた仕切り直しだ。
クリスマスが近づいてくる足音ほど、小さな子を持つ親をおびえさせるモノはありません。日増しに高まる子供のテンションって、万国共通の恐怖ですよね。
その上ニュージーランド(NZ)では、クリスマスって夏休みのはじまりなんですよ。学年の変わり目で宿題もありませんから、子供たちの開放感と期待感は半端ではありません。要するにまさに盆暮れ正月がいっしょに来るわけで、プレッシャーは日本の比じゃないです。
う~むむむ、どうしよう......。
ある日妻が「近所のお店の庭の砂場で、姉弟三人すっごく仲良く遊びまくってたよ」と。
よしそれだ!
すぐに造園材料店に砂を物色しに行った妻は、直径1m超の巨大古タイヤを発見。それに砂をいれて一丁上がりってのはどうだろうというのが彼女のアイディアです。
ところがしばらくしていっしょに行ってみると、もう売り切れ。残念。
じゃ、家を造った残りの木っ端で枠を組もうかな、むしろ問題は設置場所だ、などと思案つつ庭をウロウロしてたら、伸び放題の雑草に埋もれて忘れ去られていた「棺桶」を見つけました。
そうか、こいつを使う手があった!
これは家を建ててるときに、NZ$200で売ってるのを見つけた大工が「安い!」と大騒ぎするのにつられてついつい買っちゃった檜風呂、じゃなかった、古井戸、でもありません、ホントはプランター。ところがちょっとした台所カウンター並みの図体(縦175×横75×高さ80cm)なのでなかなか使い道が見つからず、変なあだ名をつけられて草の海に沈むままになってた可哀想なヤツです。
あらためて見ると砂場にピッタリの大きさ。とはいえ80cmは深すぎるので、上から五分の二を使うことにしました。久々に発見されたとたんスライスされちまうんですからますますフビンなヤツですが、こういうリサイクルはなかなか気分の良いもんです。
が、しかし......。
電動工具を使おうにもコードが届きません。届くところに運ぼうと思っても、妻と二人じゃ無理。でも長いコードを買ってくるのもシャク。
クッソォ、久しぶりに手で切ることになるのか。
またまたところが......。
NZに来てすぐに買った11年モノのノコギリ、家を建てるときに使いたおし、材を釘ごと無理矢理切ったりもしたので(これがその作業)、刃がボロボロ。フォーバイフォー材一本切るのに10分もかかっていきなり腕はパンパン、古傷の手首もズキズキ。こりゃいかん。
せっかく延長コードをガマンして手作業してるのに、結局ノコギリを新調する羽目に。なんだかなぁ。
大枚NZ$10(今のレートで約650円)はたいて、前のと同じブランド(スウェーデン製)の小振りなのを買いました。今は電動工具もいろいろ持ってるので、刃長一尺半で十分。
新品はさすがに切れるねぇ、嬉しくなっちまぅじゃねぇか、えぇ、どうでぇこの切り口の鮮やかなこと、ほら見ねぇトッツァンよぉ、って思わずエセ江戸ッ子になっちまいました。調子に乗って4倍速、労力半分で残りの三つの角を一気に切断。長辺の真ん中にあるフォーバイフォー材は、横にドリルで穴を開けてからジグソーの細い刃先を突っ込んでセコセコと切らなきゃいけないのでちょっと面倒でしたが、これもそう大変なことにならずにすみました。
てっぺんの木枠のゆがみ修正や材の固定、補強などの細かい作業も含めて、合計一時間半ほどでスライス完了。
元プランターですからもちろん防腐加工済みですが、切り口を地面に直置きするのは不安だったので、逆さにして地面に触れるとこだけポリウレタン塗料を二度ほど塗りつけました。全体に塗るのは面倒だなんて、口が裂けてもいえません。
次は設置場所の草刈り。迷ったあげく、家の北東の角の塀際に置くことにしました。ダメだったら、また動かせばいいんだし。
ちなみに北東と聞いて、日当たりの悪い鬼門を思い浮かべた人も少なくないでしょうが、南半球では北が日当たりの良い側です。
あれ? っつぅことは、南半球の鬼門は南東なのかな? こっちの風水ってどうなってるんだろう? 一回調べてみなきゃいけません。
それはともかく、雑草よけのシート(こっちではウィードマットと呼びます)を敷いてその上に棺桶2/5を設置。
棺桶2/5の内側と底には、家を建てるときに仮屋根として使った超厚手の基礎用ビニールを貼ってカッターナイフの刃先で無数の水抜き穴をあけました。これもリサイクル。
さて、いよいよ砂の入手です。工事用機材レンタル屋から半日NZ$15.50也(今のレートで約1,000円)で借りたトレーラーを愛車の後につないで造園材料店へ。小型ブルドーザーひとすくいがNZ$25(今のレートで約1,600円)。安いのぉ。
ところで今まで長大なカヤックトレーラーばかり運転してたもんで、こんな可愛らしいトレーラーは超楽勝じゃい、となめてかかったら大間違いのトントンチキ。小さなトレーラーって、ワンボックスカーの運転席からは見えないんですね。直進してるときはミラーにも映りません。おかげてバックにえらく苦労して、カヤックガイド仲間にはとても見せられないような醜態を演じてしまいました......。なめてはいけません。勉強になりました。
さてさて、ここからが力仕事です。残念ながら庭木がじゃまでトレーラーを砂場に横づけできないので、15mばかり離れたとこからネコグルマで往復。そもそもこっちのネコグルマって日本のよりはるかに立派でやたら重いんですが、砂を満載にすると星飛雄馬仕様といった趣。
でもトーチャンは泣き言を言ってはいけないのです。黙ってキリキリ働けぇ、キリキリ!
20分ほどでいっぱいになりました。腰が壊れる前に終わってめでたしめでたし。砂も少し余るくらいの量で、もう一度買いに行かなきゃいけない羽目にならずにすみました。
よっしゃぁ良いぞぉ、ガキどもぉ、そらぁ遊べ遊べぇ。
決して広くないので、押し合いへし合いもめながら遊んでますが、まぁ良いでしょう。っつーか、一番上のお姉ちゃんは、中に入らなくても良いんじゃないかと思うのは僕だけでしょうか???
これで完成かって? いえいえとんでもない。NZの紫外線量は日本の数倍です。今が最強の季節で、日本では相当な高山じゃないとこんな強烈な紫外線は経験できないレベルです。さすが皮膚ガン大国。日よけが必要です。
さっそく一辺3.6mの正三角形タープを買ってきました。あまり美しい張り方じゃないですが、まぁとりあえず当座はこんなもんでOKかな、と。そのうちまたちゃんとした張り方を考え直します。
ちなみにこの写真では長男に直射日光が当たってますが、これは夕方の西日ですから問題なし。真っ昼間の強烈な日差しは、ちゃんと防げてますから大丈夫。
というわけで、これでひとまず完成。何日かに分けて作業したんですが、合計の所要時間は半日強といいますか、一日弱といいますか。そんなもんですね。
かかった代金は、
品 目 | NZ$ | 円 | |
---|---|---|---|
棺桶の2/5 | 80.00 | 5,200 | |
ウィードマット | 20.00 | 1,300 | |
貸しトレーラー | 15.50 | 1,000 | |
砂 | 25.00 | 1,600 | |
タープ | 60.00 | 3,900 | |
合 計 | 200.50 | 13,000 |
とはいえ棺桶は二年以上前に買ったモノですから、今回の実際の出費はNZ$120.50(8,000円弱)です。思った以上に安くついてビックリ。
ちなみにノコギリは、今後も使う工具ですから計算に入れてません。
今後のバージョンアップ予定ですが、妻はまわりに溝を掘ってポンプで水が循環するようにするのはどうかといってます。なるほど、それも一興。でも来夏向けのプロジェクトになるかなぁ。
あと、角っこでさっそく妻は脚をすりむいたそうなので、角をまるめるとか、柔らかいものをとりつけるとかしなきゃいけなさそうです。
残った棺桶の下3/5は、どうやらコンポスト箱になりそうな気配です。使い道がきまって良かった良かった。
さてさて、今年の僕の投稿はこれが最後です。
本年はお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
Merry Christmas & Happy New Year!
]]>文&写真:リュウ・タカハシ
2009年11月5日
天の啓示を受け、なぜかネイチャーフォトグラファーを目指すことになってしもぉた拙者。修行の旅に出たとたんに、蛇頭の手先の殺し屋軍団に襲われるが、危機一髪のところを謎の美女に救わる。そして彼女の口から、驚くべき出生の秘密を聞かされるのだが......。
ワッハッハ、アッタボーよぉ、早起きなんぞ、かるいかるい!
そう。マグレかと思ったら、二日続けてちゃんと起きられてしまったのである。やっぱり歳食ったんだろうか?
ま、いいや。とにかく、天候チェック。
ありゃま......。昨日にもまして曇ってるな。どんより。こりゃダメだ。二度寝に限る。
ウソだろうって? いや、ホント、ちゃんと一回起きて天候チェックしたんだってば。あ、信じてねぇな、その目は。ま、いいや。
その翌日月曜日は、実はクィーンズバースデイ(女王誕生日)。
とはいえエリザベス2世のホントの誕生日は4月21日。どうもイギリス連邦コモンウェウルス諸国の元首、つまり英国王室の長を祝う日のようだ。つまり王様が変わっても、祝日は移動しない、と。
でもコモンウェウルス諸国の間でも、クィーンズバースデイを祝う日が違うらしいってのは、なんともおおらかな話だ。
ともかく、2009年のニュージーランドのクィーンズバースデイは6月1日(月)で祝日。というわけで、三日続けて早起きに挑戦とあいなった。
ムフフフ、問題なしじゃ。バッチリ起きたぞよ。
すかさず天候チェック。おぉぉ、今日は快晴じゃぁ! よし、すぐに出撃じゃ。
一昨日は曇ってたが、今日は晴れたスティーブンズベイの夜明けが撮れそうだ。うっしゃ、行くべ。
と、元気よく車を発進させたのだが、なぜだかハンドルを逆に切ってしまった拙者......。
「???」
自分でもワケの分からぬまま、まぁそれなら好きなようにしてみるがよいと、ハンドルの向くままに愛車を走らせる。
たどりついたのは、我が家からわずか1分の海岸。
あ......。
そうだ、ここには座礁した廃船があるんだった。しかも干潮だ。寝ぼけた脳ミソのどこか隅っこのあたりが、どうやら突然この船のことを思い出したらしい。すげぇじゃん>拙者
この船、満潮になると船体の半分まで水につかるのだが、このタイミングならばなんと側まで歩いていけるではないかぁ! もう10年もここに住んでるが、そういえば船の中なんて見たことがないぞ。
と、喜んで船に向かって歩き始めたが、ぬかるんで大変。ちゃんと長靴履いてたのだが、ドロから足が抜けない......。船のまわりにベタベタと足跡をつけたくないのだが、こりゃどうしたって穴ぼこだらけになっちまうぞ......。
四苦八苦しながらやっとたどり着き、エイヤッと這い上がってみたら......。
おぉぉ、ちょうど太陽が水平線から!
が、慌てて撮ってるから、ぜんぜんダメダメなフレーミング。トリミングしてみようかと思ったが、どこをどうちょん切ってもダメはダメか......。
しかもシルエットになった船体が暗すぎて、何が何だかワケわからん。フラッシュ焚いて、もう少し船体写るようにすべきだった......。
しかしそれはともかく、船内は被写体てんこ盛り!
サビの具合を強調するために、コントラストを強めに、シャープネスも少し強めにかけてみたが、いかがなものだろう?
自然に還らんとする人工物のなれの果てを写したものをネイチャーフォトと呼んでいいのかどうだか微妙だが、緑あふれる風景とは別の意味で自然の威力をまざまざと見せつけてくれるのは事実。拙者は、こういうのとか、廃墟廃屋だとかに、妙に「自然」を感じてしまうのである。
これは何度も通わねばならぬ被写体だ。
中ばかりでもつまらない。外からもカシャリ。
こういうときって太陽をフレームの中に入れたくなるのが人情で、拙者もやっぱり入れてしまったのであるが、どうもピンと来ない。構図が散漫だ。
少し立ち位置を変え、太陽をフレームから外してカシャリ。
うん、こっちの方が力強くて好みであるぞよ。シンプル・イズ・ベストか?
でも空が微妙に寂しい。少し天候が違う日に再訪せねばならぬ。
初めての被写体ゆえに、これがロケハンみたいなものだったが、ここはなかなか面白い。すぐ近所だし、通いたおすとしよう。
ネイチャーフォトグラファーの修業としては、ちょいと邪道のような気もしないではないし、ここで修行してアンセル・アダムズが倒せるようになるかどうかも怪しいが、まぁどうせ拙者はへそ曲がりなのである。気にしないことにしよう。
文&写真:リュウ・タカハシ
2009年10月1日
十日ほど前から日本滞在中につき、ホントは今回は日本の写真を使いたいと思っていたのだが、残念ながら先週末の仁尾フェスティバルの準備&本番のバタバタで、写真を撮る暇がなかった。というわけで、今回は前回の続き。
天の啓示を受け、なぜかネイチャーフォトグラファーを目指すことになってしもぉた拙者。とりあえず雑誌の「一週間で風景写真が見違える」という特集を参考に修行を積むことに。三日目の課題を参考にとりあえず実際にフィールドでロケハンを敢行。そして翌日、いよいよ早朝撮影に出発するも、途中で出会う風景についついカメラをかまえてしまい、なかなかロケハンした現場に辿り着けない拙者であった......。
途中でみごとな朝焼けが撮れた。ということはつまり、目的地に着いたときは、時すでに遅しっつーことだ。
がっかし......。
しかも晴れてりゃなんとでもなるが、一瞬の朝焼けの後は思いっきりドンヨリ曇ってやがんの。写真にならぬではないか......。
でもとりあえずカシャッとな。
昨日のロケハン時は満潮に近かったが、このときは思いっきり干潮。だから全然違う構図。ロケハンの意味ないじゃんなどと突っこまぬように。前回ご紹介した冬の装いゴム長のおかげで、ちゃんと水の中に立ち込んで撮影できているのだから、それだけでも立派なのである。
でもやっぱり露出はメチャクチャ。現像時に相当頑張って明るいところを暗くし、暗いところを明るくしてみたけど、まだちょっと空が明るすぎた。やっぱりグラデーションフィルター買わなきゃいかんな。
しばらくあーでもない、こーでもないと撮ってて、こりゃダメだもう引き上げようと思った刹那、ちょっと陽がのぞいた。すかさずカシャッ。
前の写真と同じ岬だけど、前のは波打ち際から広角、こっちはビーチの上の方から望遠で。空を多めに入れたかったからあえて三分割法を少し外してみたんだけど、こうやって改めてみるとやっぱり日の丸気味のダメ構図のような気がする。う~ん......。
というより、この望遠レンズ、いかに十数年前のキットセットレンズとはいえ、あまりにも描写が甘い。三脚もキャシャすぎてぶれる。
が、道具のせいにしてはいかんのだ。ここは歯をくいしばって修行だ。
昨日に引き続き、今回もカイテリテリへ移動。
わずか5分の移動の間に、なぜかどんよりとした雲はほとんど消え、黄金色の早朝の光が横から差していて、なかなか美しい。
しかしスティーブンズベイと同じく、昨日のロケハン時とはぜんぜんビーチの形が違っていて、改めて美味しいポイントを探して走り回ることになった。
とりあえずカシャ。
リードイン・ラインズとフォアグラウンド・インタレストをかねるつもりで、海に流れ込む小さな流れを手前に入れてみたが、やっぱグラデーションフィルターなしで撮ってるから空が白飛びしちゃってて、今ひとつフォーカル・ポイントがハッキリしない寝ぼけた写真。こういうときこそHDRにすべきだったかなぁ。
結局ビーチの端っこの流れ込みが美味しい被写体かもしれないと思い、ここでしばらくいろいろ撮ってみることにした。カシャリ。
が、白飛びした空が大きくて、これまた何を撮りたいのか不明な構図。
横位置にして、空を小さくフレーミングして、カシャリ。
う~ん、フォーカル・ポイントはハッキリしたんだけど、その代わり前の写真と比べると岩の並び方が雑然としてるなぁ。
さっきの写真の場所で、横位置にかまえて撮りなおすべきだったんだな、きっと。数メートルとはいえ、なんで移動したんだろ?
いかんなぁ、今PCの前でこういうことが分かっても遅い。現場でプレイバックしたときにすぐに気づいて、すぐに撮りなおせなきゃ......。
まぁいいや、また撮りなおしに行くとしよう。
というわけで、無理かと思った早朝撮影、なんとかできてしまって、ビックリ仰天。成果はイマイチだが、やることに意義があるのである、うん。
というわけで、ゴム長のおかげで波打ち際で撮影できた以外は大した成果もないくせに、なぜか早起き成功に気をよくして意気揚々と帰途につく拙者であった。
が、ちょっとまったぁ!
カシャッ。
行きに撮った樹が、ぜんぜん違う表情を見せていた。だからフレーミングもまったく正反対に、空をうんと小さくし、露出も手前の地面にあわせてみた。
微妙にもやがかかってて、真横からの朝の光でなかなか良い雰囲気。ほんの1時間ほどでこれだけ違う写真になってしまうんだから、そりゃ早起きして写真撮れっていうはずだと、あらためて納得。
ただこの写真もなんだか寝ぼけてて、イマイチパッとしない。もうちょっと通い詰めて研究しないとダメだ......。
うっしゃ、明日も早起きして撮るぞ!
って、二日続けてホントに早起きできるのか?>拙者