カルチャー [書評]

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イワナの夏

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内田一成

 その昔、渓流釣りマニアの友人に誘われて、秋田の山深い渓流に通ったことがあった。

 ぼくは、魚を釣るよりも、恐ろしく澄んだ流れをのんびりと木漏れ日が踊る岸辺から眺めながら、他愛もない思考に遊んだり、読書をしているほうが楽しくて、ついに、釣りの魅力には引き込まれなかった。

 この『イワナの夏』 の著者、湯川豊氏は、元文芸春秋社の名編集者で、植村直巳を発掘したことでもよく知られている。

 本人は渓流釣りをこよなく愛するアングラーで、釣行のエピソードや釣師の生態が、よく伝えられている。

 釣りは"Seek and Find"(探し求め発見する)旅だと言われるそうだが、このイワナの夏では、単に幻の魚を求めるだけでなく、そのSeek Tripを通して、意外なものをFind=発見する楽しみ......というか「性(さが)」 が面白い。

 とある渓流で出会った渓流乞食は、仕事も家庭も捨てて、渓流でテント生活を送りながら訪れる釣師たちから施しを受けて生活している。そんな姿に釣師としてのある種の憧れと、完全にアウトローになりきれないその人間に対する反発を感じるが、後にその渓流乞食が東京の雑踏の中で本物の乞食になっている姿を見て、声も掛けられず、こそこそと遠ざかっていく。

 そのほかにも、釣師ならではのユニークなキャラクターがたくさん登場する。そのいずれもが、ペーソスな味わいを漂わせる。

 でも、光踊る夏の渓流の描写は、「このまま光の中に消え入ってしまいたい」という、作者の幼い頃からの幻影とダブって、心地いい陶酔感をもたらしてくれる。

 また久しぶりに、ほとんど振らないロッドを携えて、渓流へと出かけてみようかと思わされた。



●2009年5月追記●

 つい先日、友人から紹介とされた星野道夫さん追悼の番組を観ていたら、本書の著者の湯川さんが登場して、星野さんの思い出を語っていた。

 文春の編集者時代に、星野さんは湯川さんの下でアルバイトとして働いていたのだという。星野さんは若い頃から、非常な読書家で、湯川さんの元で働きながら、湯川さんと様々な本の話をして、どんどん読書の幅も広げていったという。

 星野さんの写真は、そこから物語がにじみ出してくるようにとても叙情的であり、奥さんが撮影した本人の写真は、森の中にあって、深い思索的な表情が印象的だ。その著作も、とても思索的で深い内容を持っているけれど、その背景には膨大な読書があったことは知らなかった。そして、湯川さんと深い間柄であることも初めて知った。

 イワナの夏では、自分自身や「釣り師」という性を可笑しくもありペーソスでもある存在として書いているが、読後感が爽やかでありながらどこか寂しくもあるのは、植村直巳や星野道夫といった湯川さんにとっての若い「同士」 が先に逝ってしまったという哀しさを彼が常に背負っているせいではなかろうかと思わされた。

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